最適な人生を生きたい


仕事、恋愛、お金、趣味、家族、、、人によって人生の何に重心を置くかは変わってきますが、それでもせめて百通りもあれば、その中に多くの人が当てはまるのではないでしょうか。より細かく分類していけば「これが好きで、重心をおいているは世界中で私だけ」というものはきっとありません。仮に、現代に同じ趣向の人がいなかったとしても、過去、いなくなってしまった人々の中には、私と同じ趣向の人がいたはずです。

これは、世界で私が好きな生き方を他の人も実践している(あるいは、実践していた)ということです。そんな彼らには人生の中で「ここが良かった」「ここが悪かった」「もっとこうすればよかった」という点があるはずです。もしかしたら「俺の人生は最高だった」と断言する人もいるかもしれません。

実際、私の人生を振り返ってみても、多くの後悔や、やってよかったな、ということがあります。やってよかったな、ということは、大学生時代に他の人よりも多少なりとも勉強をしたことですし、後悔している点は引きこもりすぎて人間関係をおろそかにしてしまったことです。

このように、多くの人の「やってよかった」と「やらなければよかった」を集合すれば、「最適な人生の生き方」を構築できる、と私は考えています。そして、そんな人生を生きたい、と思っています。このように書くと「味気ない人生」「ディストピアみたい」と感じてしまいますが、「巨人の方の上に乗る」のは古来より人間がやってきたことで、特別おかしいことではありません。むしろ多くの人が悩み、考えるポイントを予め除去することで、より楽な人生を歩むことができます。

20年ほど前までは、これらを自分一人で考えなければなりませんでした。しかし、ネットが登場し、多くの人が自由に意見を述べることができるようになってからは、「やってよかった」ことに関してはネットの中でライフハック系の記事やエッセイ系の記事で書かれるようになりました。

例えば、一人暮らしで必要なものはなんだろう、と悩むことはありませんし、新入社員にありがちな失敗をすることもありません。小学校の頃の人間関係は多くの人が純粋であるがゆえに残酷で、大人になったときにそれを懐かしむことを知りました。そういう「誰かと共有したいけど、テレビや本で取り上げられるほどではない情報」が大衆化し、ネットの登場以前より最適な人生を歩むことができたのではないかと考えています。

しかし、これらの記事はまとまりに欠けているな、と感じるのが素直な感想です。これは私がきっと「最適な生活」を求めているせいでしょう。まとまった人生訓、人生の過ごし方を書いているサイトの中で私が見つけたのは、あまり多くはありません。

多分、多くの人は自分の生活をまとめるほど見つめ直していないのではないでしょうか。断片的に書かれたその情報は、たしかに一つ一つは価値のあるものかもしれませんが、まとめることで、書籍に匹敵する内容となると思います(もちろん、まとまっていない思考の欠片のようなブログも好きです。それもブログの一つの魅力に違いありません)。思考は本来、まとまっているものではなく、非常に発散するものであるため、まとめてきれいにするという作業が果たして人間的なのか、私にはわかりません。

それでも、「最適な生活」を送るためには、情報はまとまっているべきです。例えばスマホは一つの板の中にすべての機能が集約されています。だからこそ便利なのです。googleも、「1つのサイトから、文字を打込むだけ」と単純だからこそ使いやすいのです。あれについての情報はこれら100のサイトに乗っているよ、と言われても「いや、要点を教えてくれ」と言いたくなります。はっきり言って不便です。「最適」ではありません。今後、ブログに求められるのは(私が求めているのは)、時系列的に情報を並べる機能でもなく、あるいは、優れたレコメンド機能でもなく、必要な情報が適切な順序、階層で並べられる機能ではないでしょうか。そのように整理された「最適な生活」を送れるようになれりたいです。

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