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中学生に土下座しようとした話

この前の記事で、今年の目標として「権力には屈さない」というものを掲げた。それに関連することで、思い出したエピソードがある。

20歳前後の僕は屈していた。それはいわゆる権力に対してだけでなく、この世の多くにひれ伏していたことを意味する。
18歳の頃、地元姫路に帰省した際、駅前で中学生のヤンキーに絡まれ、どういう話の流れか土下座を強要された。

「お前何メンチきっとんじゃおら」
「いや、見てないです」
「どこ中出身やねんお前」
「鹿谷中です」
「どこやねんそれ!」
「鹿谷中っていうのは姫路市の北にある夢前町ってところにあって、最近姫路と合併したばっかりで……」
「もうええもうええ。土下座や」

ざっくりとこんな感じである。こちらとしては一方的に絡まれただけなので土下座をする義理など1ミリもなかったのだが、

「はい!じゃあ今から土下座するので解放してください!」

と僕ははっきり宣言した。高校を卒業して以来の友達との再会をその日は本当に楽しみにしていたのだ。膝をつこうとした時に隣にいた友達に「いやいやいやいや」と止められ、世界一意味のない謝罪は実現しなかったが、あの頃の僕は土下座くらいいつでもするよというスタンスだった。梨泰院クラスの主人公からしてみれば驚愕のジャパニーズがいたものだ。

こんなこともあった。大学で野球をやっていた頃、ある日突然グランドにあったピッチャーマウンドが破壊され、陸上部専用のトラックが作られた。事前に何の通告も受けてなかった我々としては当然愚痴や不満も出る。
そんなにおいを嗅ぎつけたのか、当時野球部の主将だった僕はある日、大学のお偉いさんに呼び出され「ウチの女子駅伝部は全国行くくらい強いんやから邪魔だけはするなよ」みたいなことを言われた。その人は大成建設からの引き抜きで大学の運営を任されており、こと大阪芸術大学女子駅伝部への力の入れようは大したものだった。名前も晒してやりたいが、そんなしょうもないおっさんの名前など忘れてしまった。あの人の名前何だったっけ?覚えている人いれば情報提供お願いします。

とにかく、そのおっさんの部屋で脅しともとれる圧をかけられたわけだが、当時あまちゃんだった僕は何も言い返すことができなかったわけだ。怒りを覚えることすらも放棄していた気がする。もう言われるがままに「はい。はい。その通りです」とイエスマンを演じていた。今ならどうするだろう。最初に「じゃあ全部録音しますね」とボイスレコーダーを机の上にポンと置くところから始めるかな。あとはマウンドをぶっ潰したことに対する謝罪を求め、一部で噂されていたセクハラの件を問い詰め、おっさんの身ぐるみを剥がし、電気アンマを仕掛け、少ない髪の毛を引きちぎり、ボロボロになったところを写真に収め、それをインスタのストーリーにアップし、最後は服を着せてあげるだろう。

人を選んだ上で態度を変え、偉そうに踏ん反り返るタイプの人間が嫌いだ。彼らは権力者のようでいて、実際は大したことがない、自分の能力を過信しているタイプの人たちだ。「本物」は違う。権力の使い所を知っている。そんな「本物」に出会った時に、膝をつかずに直立できるかどうかが人生の勝負所ではないだろうか。


それでもやはり、自分だけではどうにもならない時があるんだこれが。どんな努力を持ってしても、社会の不条理には逆らえない場面が何度もやってくる。その度に、目には見えない涙を何度も流すだろう。ありもしない救いの声を聞こうとするだろう。何の才能もなければ、特別な環境で生まれ育ったわけでもなく、平凡な家庭環境で育った僕の人生はそれでいい。とにかく自分を愛することだ。僕は何だってできる。今日という日が人生で一番若いのだから。

ちなみにこれは余談だが、そのヤンキーに絡まれて困っていると私服警官がやって来て僕たちを助けてくれた。その時僕と一緒に絡まれていた友達は、兵庫県警のその誠意ある対応に感銘を受け、警察官になり、現在は香川の交番に勤務し町の平和を守っている。

ちなみにこれも余談だが、その友達はヤンキーに絡まれた際に「名前何や?」と聞かれ、「たなかゆうすけです!」という偽名を名乗っていた。あまりにもナチュラルな返しだったので、そっちが本名なのではないかと思ったほどだ。友達はその一件で味をしめ、現在もピンチの場面が来たらたなかゆうすけを降臨させているのだとか。

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