見出し画像

むかしのひとと上手に話せたい

むかしレーベルメイトだった『ゆれる』というバンドがいる。そこのボーカルあみさんと食事に行った。奄美大島出身という朝ドラの設定みたいな人物である。

ちなみにこの『ゆれる』というバンド。実際はかなり揺れていない。

いや、「揺れていない」というのは誤りだ。なぜなら「音」というもの自体が空気の振動を伝う聴覚内容なのだから、どのような音楽でも「揺れて」はいる。

でも、この流れで話を進めると、すべてのバンドが「ゆれる」になってしまうし、むしろ「ゆれていない」というバンド名のほうが特徴的になってしまう。まぁもうその話はどうでもいい。揺れていても揺れていなくてもどっちでもいい。

あみさんが指定してきた集合場所は、中央線「東中神駅」という心の底から聞いたことのない駅だった。

画像1

表現する必要がないほど、何もなかった。いい意味で。

マシンガンをぶっ放すようにこの駅の悪口を羅列しても誰も傷つかない気がする。それぐらい誰もいなかった。ホントにいい意味で。

ここのところよく電車に乗るのだが、都心からビュンビュン離れていくのが気持ちいい。都会とかいなかというものには濃淡がある。
各駅停車に乗ると、喧騒の消失をグラデーションで感じられる。伴って胸中の清涼感も増していく。人口の少なさは心の綺麗さだ。

あみさんが「ここのラーメンが食いたい!」とかマニアックなことを言うものだから、辺境の地東中神駅にやってくるハメになってしまった。果たしてこんな奄美大島みたいな場所に伝説のラーメンがあるのだろうか。

高くなった秋晴れは雲一つなく、路上はどこまでも伸びていた。ちょっと伸びすぎじゃないか、というぐらいだった。そして辿り着いたラーメン屋はふつうに休憩中だった。

残念を腐らせたみたいな感情に包まれた。隣りに目をやるとあみさんは真顔だった。それにしても晴れていてよかったと思う。雨だったら悲惨を通り越して泣いていた。

もうどうでもよくなった僕たちは、近隣の蕎麦屋に入った。
築何年か分からないぐらいの、南の島にそびえるデカい木の樹齢ぐらいの、果てしない年月を超えてきたであろう店構えだった。

大阪にはこういう時代から取り残されて難破したような店が多い。
昔あみさんと僕は「そういうところ」をよくウロついていたので、大気に郷愁が含まれた感じがした。

背もたれとしての機能を失っているぐらい、低い背もたれが装備されたイス。
死んでるんじゃないかというほど、生命に対して切羽詰まったギリギリの店主。
メニュー表の色は緑に緑を重ねすぎて、もはや黒い。

すべての悪条件が揃っていた。最高である。

ざる蕎麦が来るまで、僕たちは二人で奄美大島の話をしていた。

先週は宮古島のひとと食事をしていたが、島の方というのは地元が好きだ。異文化の話は聞く側も興味深いのがありがたい。島の話は最高だ。

かつて逆の話を浴びせられたことがある。大阪生まれのやつに、大阪の話を延々とされたのだ。僕は神戸出身なので全部知っていた。大阪と神戸の違いはほとんどない。
品川に住んでいるやつが、新宿に住んでいるやつに品川駅の良さを熱弁するようなものだ。そいつとは苦笑いのまま二度と会わなくなった。

それにしてもざる蕎麦が来ない。全然来なくて不安になるレベルだった。奥で死んでるんじゃないかというぐらい作っている気配がない。もはや蕎麦屋にいることすらも忘れられそうだった。時間の流れが奄美大島ぐらいゆるい。

店内のテレビからはワイドショーが流れ、俳優が逮捕されたことをいつまでも教えてくれていた。

「逮捕されたよくない!逮捕されたよくない!」という方向性で番組が進行している。かと言って「絶対許さない」などと名言はしないタレントたちが、「真摯にこの事態を受け止めてまっせ」と真剣な表情をしていた。

「あみさんもそうですけど、島のひとは相手の立場がどうなってもフラットに話せますよね。何でなんですか?」

テレビから無意識に連想したのか、僕がふとそんな質問をした。

音楽をやっていると、知り合いがバチクソにヒットすることがある。ダチ売れてしまつをう切なさだ。

僕も「対バンしたことある」程度の知り合いなら、ワンオクのドラマー、あいみょん、ゲスの極み乙女。LiSAなど一流が揃う。

こういうひとたちと再開することがある。今まで何度もあった。「かつてのように話す」というのが僕は本当に苦手だ。

「地位や実力が人間の価値を決めるわけじゃない。別にこっちが劣等なわけでもない。自分が逆の立場だったとしても、そんな偉そうにしない。事実向こうはしていない。フランクだ」ぐらいには思う。

だけども現実は難しい。やっぱりどうしても体が固くなる。

シマンチュはこれが柔らかい。

あみさんは「売れてもダサいのはダサいし、売れてなくてもカッコいいやつはカッコいい。売れることは何一つ指標にならない」と言った。

僕は「よし。この言葉を考えたのは俺だということにしよう。そしてこれを誰かに言おう」と思った。

スケールというものは、人間の行動範囲、ひいては『幅』を決める。

あみさんは透き通る奄美の海を泳いでいるが、僕は歌舞伎町の鼻がつかえるほど狭い飲み屋で吐瀉物にまみれている。店の立地もおもくそ路地裏だし、ゴミとかいっぱい落ちてる。

でも広くてもダサいのはダサいし、狭くてもカッコいいやつはカッコいいはずだ。面積なんてものは何一つ指標にはならない。

ノールックパスのように、するっと蕎麦が運ばれてきた。作っている気配がまったくなかったくせに、舌が千切れ飛ぶほど美味かった。

あみさんとは二時間ほどでサクッと別れた。

あみさんは南武線のホームへ、僕は中央線のホームへ。

一人、高速で通過していく電車を何本か見送った。駅全体を纏う憂鬱を轢き殺しそうな勢いだった。

ボケッと立っていると、ようやく「乗ったら帰れるっぽい電車」がやってきた。乗換案内を調べるのもめんどくさくて、来たやつに乗ろうと思ったのだ。とりあえず新宿方面に行けば何とかなる。

帰路疑惑のかかった電車のドアが開いた。その瞬間、隣りのお婆ちゃんに「これは吉祥寺に停まりますか!?」と肩を掴まれた。なんで俺に聞くんだ。

やばい、ドアが閉まる前に答えないといけない。カウントダウンがいきなり始まった。BUMP OF CHICKENの『乗車権』が頭の中で再生された。

ドアオープン前ならアプリとか使えたのに、なんで今聞くのか、なんでこんなデカイ声で質問するのか、初めてきた意味分からないとこらへんの駅だから回答の手掛かりすら見当たらない。

一瞬で思考を張り巡らせた。

「とりあえず一緒に乗ってみましょう!着かなくても近付きはします!」と言った。自分も乗客としてそれぐらいの意識の低さだったからかもしれない。

お婆ちゃんは「そうよね!」と答えた直後、反対側のオッサンに同じ質問をして、乗り込むのをやめていた。

電車に乗り込む。ドアが閉まる。ホームに立ちすくむお婆ちゃんと目が合う。嫌な別れだ、なんでこんな思いしなきゃいけないんだ、気まずい。もういい、シートの端に座る。

数分で立川駅に着いた。席から眺める車窓にも『都会』という感じが映し出されている。うんうん、都会都会、と納得していた。

ドアが開いた途端、水泳の息継ぎみたいに電車が大量の人間を吸い込んだ。

老若男女がひしめいて、乗車率が一気にブチ上がり、最高潮になった。ヒートアップするアナウンスをバックに、みんなが一目散にシートを目指しはじめた。

「それにしてもさ!」ぐらいには太ったデブオッサンが、三人まとめて隅っこに座る僕の隣りに腰を下ろした。

一人分のスペースが0.4人分ぐらいにまで圧縮された。ぎゅっと圧死しそうなほど押し込まれて、僕はシートから弾き飛ばされた。椅子取りゲームのクライマックスみたいだった。

コケそうになり、つり革に捕まる。デブたちは座りながらiPhoneに夢中だった。「このデブが」と思った。

暮らしている場所がなんだか狭くてダサい。広い場所に行きたい。Amazonで探す。売っていない。

検索して出てきた奄美大島の写真と、目の前の車窓を見比べた。高速で風景は置き去りになっていき、都会の濃度がすっかり増していた。


音楽を作って歌っています!文章も毎日書きます! サポートしてくれたら嬉しいです! がんばって生きます!