リーダー的存在
「リーダーには組織の中で一番頭が良い人がなるものだ」
こう思い込んでいるひとは意外と多い。
あなたもそう思っているだろうか。
確かにリーダーの頭が良いに越したことはないだろう。だがそれは必ずしも「一番」である必要はない。
仮に一番頭が良かったとしても、微妙にアホなところを部下に見せるぐらいでちょうどいい。そうでなければみんなが育たないからだ。
幸い、僕はいろんな組織に入ることができたし、作ることもできた。
自分がリーダーになる場面もあったし、中間管理になる場面もあったし、兵隊になる場面もあった。
いろんな組織に属せた経験というのは、自分が組織を作るときにも、新しく入るときにも役に立つ。
そんなときやはり注目してしまうのはリーダーだ。組織はどんなにこねくり回してもリーダーの力量以上に大きくはならない。
力量と言っても、先述の通り、知能はそこそこでいい。知識もキャリアも同様にそこそこでいいのだ。
しかしリーダーが組織内でダントツでなければならない力がある。
それが決断力である。
極論すると決断力さえあれば、それ以外は平均未満でも許されるくらいだ。
なぜなら決断以外の仕事を、リーダーはすべて誰かに丸投げできるからである。
決断の前の「判断」を自分より頭のいい人間に振ってもいい。ただ「決断する」という責任は負わないといけない。
ひとに軽蔑されるリーダーというのは間違えるかどうかよりも、「決められない」やつである。
誰がいいリーダーか?悪いリーダーか?なんて議論は難しすぎるし、意味も無い。
ただ、決めれないやつは何ともマズイ。どちらにも進めないからだ。
早く決めれなくても、ちゃんと決めることだ。
でもこれは組織を作っていようが作ってまいが、関係ないのかもしれない。
誰しもが自分自身の人生のリーダーなのだ。親でも上司でも会社でも恋人でもない。いざというときは誰も助けてくれない。死ぬとき、僕らは常に一人だ。
決断力があれば、競争に対しても参加していける。何でも競い合うとダルいが、どこかで競っていかないと物事はつまらないものである。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉がある。
道理に関係なく戦いに勝てば正義になり、戦いに負ければ不義になるという意味だ。
「勝者は美しい。そして限りなく神に近い」という言葉もある。
現代では各方面から反論が聞こえてきそうな考え方だが、弱肉強食という自然界の揺るぎない摂理の下では、完全に否定することはできない。
あらゆる勝ち負けは時の運だ。負けるときもある。
ただ勝負に勝つことから逃げていたり、最初から戦う気が無い人間がやっている組織は面白くない。
何かしらの営利集団で動いているなら、競争から無縁ではいられない。魅力的なことをしているほど、競合がいるものだ。
最初から負けるためにやるなんてバカバカしい。やるからには勝たないともったいない。
自然界は弱い善より、強い悪を好む。
歴史の勉強をすれば、こんな真理が浮き彫りになる。善悪とはその時代の人々の道徳観によった、決められた思想に過ぎない。
時代が変わればその基準はガラリと逆転する。
ひとの気分に左右されやすい「善悪」よりも「勝ち負け」という自然の摂理に従った方が幸福になれることは多い。
勝つべくとこでキッチリ勝っておく意識は持っておきたい。
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