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お客様は神様ではなく代わりがきく

もう4年ほど株式会社を経営している。

「雇われる側」から「雇う側」になったのだが、これはずいぶんと違う。

「野球をやる側と観る側、ライブを演る側と観る側、料理を食べる側と作る側」が異なるように、『コンテンツの提供サイド』を経験すると、コンテンツそのものの見方が大きく変わってくる。

たとえば「顧客のため!」や「お客様は神様ですと思え!」と言った言葉があるけれど、これは大きく意識が変わった。

消費者の人々よりも「従業員」に対してのほうが優先順位が高くなったのだ。

前まではその従業員が「自分」だったので、「自分(従業員)とお客様どちらが優先されるべきか」という当事者的な視点しか存在しなかった。
ただ、引きの目線で観測すると、従業員のほうが経営サイドにとっては大切になる。

「ユーザーが大事じゃないから雑に扱うぜ!」というナメた話ではないが、比較すると【お客様〈働いてるひと】という不等式にはなる。これは「レア度」が違うからだ。

じつは働いてくれるひと、働き続けてくれるひとに会社が出会うのはけっこう難しい。

求人サイトに掲載すれば年間200万円以上かかってしまうし、その中で面接して、研修育成して〜と考えると一人あたり高額なコストがかかる。

そして転職の時代でもあるので、完成されるまでがんばれる人材というのはそんなに多くもないし、育ったら育ったてで離れる権利だってある。

つまり働いてくれるひと、働き続けてくれるひとは企業にとって「珍しい」のだ。

それに比べて「お客様」は代わりがきく。

極端な言い方をすれば、100万円分買ってくれるAさんと、100万円分買ってくれるBさんに差異は無いのだ。

たとえばAさんがブチ切れハードクレーマーだとしたら、無理に買ってもらわなくても良い。なぜなら世の中にはCさんもDさんもいるからだ。代用がいくらでもきくので、レア度が低いのだ。

資金を投下する配分で言うと、「顧客に喜ばれるため」か「従業員に喜ばれるため」を比較すると後者を充実させたくなる。中長期的に見ると、顧客に喜んでもらえなければ、従業員の喜びも下がってきてはしまうのだが、単純比較するとだ。

しかしこういう考え方は20代の頃はあまりできなかった。「ユーザーのため」で頭がいっぱいだった記憶がある。実際は驚くほど逆で「むしろ会社にとっては従業員もユーザーなのだ」というふうに考えていくと良いことが多かった。

ただ、最近困ったことがある。

4年経営をしているので、そのあいだ僕は働いていない。『おしごと』というコンテンツにおいて提供される側をやっていないのだ。ステージに立ってはいるが、誰のライブも観に行っていない状態と同じだ。

4年も雇用されてない期間ができると、「どういう環境こそ人間は働きたくなるものなのか」という需要のツボが分からなくなるときがある。

ただ、【本気出せば一ヶ月100万稼げます!】などと言った強盗裏バイトの募集要項のような文言に魅力を感じるひとが少なくなってきた気もする。

むしろ【一日5時間・週4勤務・月26〜32万】ぐらいのパッケージのほうが望まれているんじゃないかとも思ったりもする(今、こんぐらいになってる)

年齢、環境、家族の有無、ラクに過ごしたい価値観、弱い自分を変えたい高みを目指したいという価値観、何は犠牲にしても良くて何は譲れないのか……

これら望むものは一人一人全然違う。
だけどなるべく多く叶うほうがいい。実際、人生の時間の大半を占める「おしごと」が嫌なことばかりだと、人生のほとんどが嫌なことになってしまう。

職場というフィールドへの要望には個人差があるので、一括ひとくくりにはできないのだが、日々ウンウン悩んでいる次第である。

今日もファミレスの入り口にあるタウンワークとかをわりと隅から隅まで読みながら、「これよりは良いはず!」などライバル意識を燃やしている。

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