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さよなら、バンドアパート2

1.嬉しさよりも安堵が先にやってきた

幕張のステージに立つと、八千人近いオーディエンスが溢れていた。
『見ろ! 人がゴミのようだ!』とつい叫びたくなる光景だった。

自分の歌が大音量で響く非現実的な時間は、三十分経つとシャボン玉が割れるように終わった。

「いやー!最高やったな!」

ステージ裏にはけると、徹也がハイタッチを求めてきた。頭の上に手を伸ばすと短い破裂音がした。

「うまくいくもんやな」
呼吸を整えながら言った。

「なんやねん!その感想!あ、シンイチロウ。お前最後の一音、変な音弾いたやろ」

「あ、バレとった?」
シンイチロウの長髪は照明の暑さのせいかずいぶん濡れていた。

「分かるわ!なんであそこだけ間違うねん!四弦バーンって弾くだけやろ!」

「最初緊張しててんけどなぁ。最後らへん、気抜けて完全に油断したわ」

「全然違う弦弾いてたやんけ!」
徹也はケラケラ笑っていた。

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バックヤードに戻ると、嬉しさよりも安堵が先にやってきた。高いところから落ちる寸前で助かったような、息切れた安堵感だった。ライブが形になったこと、何よりも恥をかかないで済んだことにまだ脂汗が止まらなかった。

2.聴いていたアーティストたちが乾杯を繰り返し爆笑している

徹也とシンイチロウだけじゃなく、スタッフもファンも喜んでくれていた。これでいいのだ。でもそれを見て、ただただ「助かった」としか感じなかった。

規模が大きくなればなるほど、「いつか見損なわれる、見限られる」という恐怖は肥大した。スタッフ、メンバー、会社、マーケットとの時限性の関係を一日ずつ綱渡りで歩いている気分だった。

つま先の方向が「成功するはず」に向いているか、「失敗するかも」に向いているかで、心は感じ方を一八〇度変える。

かつて夢見ていた幾つかの頂は、そのほとんどが「ホッとした」か「気にしないフリ」で分別され、収集され、焼却、処理されていった。
それでも明るく振る舞わないといけない毎日が重なって連結していた。

仮設された控え室で一人、ケータリングのビールを流し込み、少しずつ引いていく心痛を労った。

徹也とシンイチロウは別のアーティストを観に行くと言って消えてしまった。

隣に誰もいない辛気臭い打ち上げだった。バックヤードを覗くと芸能人、有名人が何人もウロウロしていた。
中学、高校の時に聴いていたアーティストたちが乾杯を繰り返し爆笑している。顔を引っ込めて仮設控え室へと戻った。

ロックスターがロックスター同士で固まっている光景は、サッカー部はサッカー部同士、帰宅部は帰宅部同士で固まっていた教室の中を思い出させた。
僕が一人なのも同じだった。

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3.まだ向こうで群衆が大騒ぎ

日付けが変わる前に帰ることにした。
マネージャーとはこの日一言も言葉を交わさなかった。

海浜幕張駅を目指すと冬の夜の風が激しく牙をむいた。顔が凍て始め、息の白さが闇の中に浮いた。

身を縮めながら歩いているうちに、祭りの後のような感傷が走った。淡く立ち上る寂しさは、まだ向こうで群衆が大騒ぎしているせいだろうか。

気を紛らわすためにコンビニで缶ビールを買って一気に飲み干した。空き缶をゴミ箱に捨てるとすぐに喪失感に襲われた。もう一缶同じものを買ったら、店員がロボットみたいに同じ動きをした。

駅の売店に着くと、違う銘柄のビールを買った。

『一人で山に登ったり旅に出ても、孤独は感じへんやん?街にいたり、学校にいたほうがよっぽど独りぼっちな気しない?』

言葉が急にフラッシュバックした。何年も前に聞いたことのある声だった。気が狂ったのかと、頭を振って自動改札機を潜り抜けた。

『たぶん孤独って一人の人間にあるんじゃなくて、たくさんおる人間と人間の隙間みたいなとこにできるんかなぁって』

また声が脳内再生された。

瞳孔が開いて額に汗がにじんだ。確かに覚えがある言葉なのだが、情景や声色、いろいろな成分が混ざり合って手繰り寄せられない。
他の誰にも聞こえていない音声が僕の頭にだけ氾濫した。

4.BUMP OF CHICKENの銀河鉄道を誰にも聴かれないように口ずさんだが、ワンフレーズしか覚えていなかった

『めったにないけどな。何年かにいっぺんぐらいしかないねんけど、生きててホンマに良かったなって日があんねん。いっぺんでも味わったら、後の日がゴミクズみたいなんでも生きていけるねん』

かぶさってランダムに断片的に時折、違う人の声でそれは飛んできた。ビールを思い切り飲んでかき消した。そのタイミングで京葉線が滑り込んできた。

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車両は空いていて、生前、影が薄かった人物の葬式みたいだった。ここにいる参列者は僕と同じく、大晦日に興奮できない人ばかりなのだろうか。

ハッピーニューイヤーの波から弾かれた人々を乗せて、電車は真っ暗な夜に消えた。
BUMP OF CHICKENの銀河鉄道を誰にも聴かれないように口ずさんだが、ワンフレーズしか覚えていなかった。

脱力してシルバーシートにどさっと尻から落下する。誰もこちらを見向きもしなかった。僕と乗客たちの知名度など誤差ぐらいのものなのだと、改めて笑えてきた。

高速で通過する車窓を見ながら酒をぐいぐい飲んだ。また声が走馬灯みたいに頭を駆け巡った。

『けっこういいやん。尾崎ぐらい』

電車の轟音を伴奏にして、次々重なってくる。

『負い目なく、生きてる人間なんて、いるんかなぁ』

脳のところまで出かかっているのだけど、記憶を掴みきれない。すごく大切な時間だったような気もするし、とても悲しいことが起きたような気もする。

『有名になれば、この空しい日々を塗り潰せるんすよ』

『誰かに聴いてほしいんじゃないん?』

交わしていたであろう会話が、水に似た手応えですり抜けていく。

右手に持っていた缶が滑って落ちた。
黄金色と白い泡が混じって、コンバースの靴を濡らした。缶は進行方向と逆方向へ転がっていった。ビールの足跡を描いて缶は車両連結部のドアまで到達した。

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『めったにないけどな。何年かにいっぺんぐらいしかないねんけど、生きててホンマに良かったな一って日があんねん』

海浜幕張駅のホームで聞こえていた言葉だ。先ほどよりも高い解像度で再生された。

5.自分にちゃんと引いていた

急に泣きそうになってうつむいた。何が悲しいのか分からなかった。それなのに一滴、二滴と涙が足元へとこぼれた。

あれだけの人に集まってもらったのに、まだ「生きてて良かった」と思えていない自分にちゃんと引いていた。そして空しい日々が何一つ塗り足されていないことに絶望もしていた。でも集める人数、金を増やしていく作業にも疲れていた。寂しいのでも空しいのでもない。ただただ悲しくて、涙が止まらなくなってきた。

『生演奏のほうが全然いいね!』

『そんなのはさ、受け手の力量だよ』

また違う声がした。この声はもっと前に聞いた気がする。しがみついていた感触だけは残っている。流れてくる声の洪水をずっと聞いていたかった。

電車が新木場に到着した。
乗り換えないといけない。
立ち上がらないとならない。
手の甲で目を拭いてドアの外に出た。

駅の人混みの中、徐々に声は絡め取られていき、エスカレーターから降りる頃には完全に消えていた。

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