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アル中共はこの3号館に収容され、復活させられる

こんなにもか、というぐらい愉快な仲間の集う病院に通っている。

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暗雲が立ち込めているのが奇しくもふさわしいのだが、この芝生には頭や心が健常でなくなった人々が勢揃いだ。

僕はアルコール依存の外来でここに飛ばされた。

入院で一気に治しちまうのがベストだという話だが、「入院はいやだ!」と言ったら「通いでも別に良い」とのことで通院している。「死んでも別にいいけどさ」というニュアンスがそこはかとなく含まれていた。

とにかく痛飲がたたって通院しているという笑えないシチュエーションである。

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僕たちアル中共は、この3号館に収容され復活させられる。

ずっと震えている「自分はパイロットだ」と言い張る男、家族三人がかりじゃないと移動させられないおばちゃん、「自分はロックバンドのボーカルだ」と言い張る男(僕)など多種多様な人種がいる。

ここでは上も下もない。

ただ、酒を飲むという行為を取り違えてしまったメンバーが集まり、そして群れて、さらに先の未来、散り散りになることを目指すサンクチュアリだ。

飲酒がメンタルなものである以上、そこから引き出されるメンタリティは改めて心地のよいものではないと思う。アルコールの渦の中、怒り、哀しみ、憎しみ、劣等感を増幅させてしまう。きっと仲間たちもそうなのだろう。

アルコール飲料は「気持ち」の飲食物である以上、「うまい」ものではなく、苦い感情を引きずり出したうえで麻痺させてしまうためのものだ。

ここらへんがドラッグの一種に数えられる所以だ。

仲間たちは安くて味のない酒を酔いつぶれるまで飲んできたのだろう。

ちなみに酒には人格、キャラ、善悪というものはない。

「酒を飲む」ということはたとえば「本を読む」とか「踊りを踊る」とか「祈る」とかの行為と同様だ。メンタルな、精神的なアクティビティである。

メンタリズム的に言えば「酔いを求める」ということは、瞑想で心を整える、ヘロインでラリる、入浴でリラックスする、とさして変わらない。もちろん副作用の有無を除けばだが。

「アルコールは悪だ」とか「酒に罪はない」とか「酒が悪いんだ、俺のせいじゃない、酒のせいなんだ!」とか言う馬鹿がいる。

ひとによってはアルコールのことを性悪女のように言う者もおり、無二の親友のように言う者もいる。

当然だが、酒そのものには人格はない。酒に何かを糾弾している時点でイカレている。

それらはすべて自分の中に棲みついている性悪女であり親友であり、酒というものはそれら自分の中の他者と対話するための「言葉」のようなものだ。

「誰かと飲む」という話や「飲み会」や「飲みに行く」などというのが常識になっているが、医者曰く、やはり「一人で飲むやつ」が一番危険だそうだ。

付き合いなどではなく、メンタルな行為と直結するからだ。祈るように飲むやつは、おかしくなる確率が高いという話だった。

十代からこれをしていると恐ろしい。

若さと祈りと酒の三つが合わさると、三者が結託して稀代の馬鹿をを生み育ててしまう。

自分はその成れの果てと言うほかないのだが、クリエイターとして何よりまずいことは鈍感になってしまうことだ。

喜びも怒りも哀しみも恥じらいも、それまで酒によって引き出されていたものが、「酒がなくては」作動しなくなっていく。

「飲まないと打ち解けられない」というやつがいるがあれは危険信号だ。もう一歩で3号館の仲間入りだ。待っている。

いわば酒が人格の一部を肩がわりをし始めているわけである。もちろんそれが悪いわけでもない。

3号館は3号館で捨てたものでもない。これはこれで一つの正解だ。

いわゆる「普通」の人間よりも繊細だ。

中毒や依存、ひいては洗脳、常識というものに対する想像力がひどく強い。

想像力のない人間は例外なく害悪を成す。想像力がないせいで、他人を壊す「マトモ」なひとが社会にはウジのようにわいている。

ヘラヘラ想像力を失うよりは、3号館の中で夢を見ていたほうがマシだ。こちらはこちらの位相でヘラヘラやっている。


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