男たちには一位から五位までがあるらしい
日本史の常識だが、いまの鹿児島県は薩摩藩と呼ばれていた。鹿児島というのはなんとなーく「無骨」だったり「がんこ」だったり「愚直」なイメージがある。
捉え方によるのかもしれないが、良い意味でだ。
その薩摩藩に島津家という名家があった。ここの教えに「男の順序」というものがある。家訓なのだろうか。
一、何かに挑戦し、成功した者
二、何かに挑戦し、失敗した者
三、自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者
四、何もしなかった者
五、何もせず批判だけしている者
「それな!」と言いたくなるぐらいには腑に落ちる。
『男の順序』というのもすごい家訓だが、世の中には序列や優劣、順序というものが間違いなく存在する。
ジェンダーが見直されている時代ではスベっているのかもしれないが、意識を高める上では悪くない考え方だと思う。
この家訓は「金持ちと貧乏では金持ちの方が偉いのか?」いうような話ではないのが心地いい。
「男の順序」の評価基準は「どれほど主体的であるか?」ということだ。「自分から率先してやれるやつが男として偉いぞ」というアクティブさを評するシステムである。
僕もマクドでバイトしているときに「暇なら言われなくてもその辺を拭いたりしろ」と言われていたが、そういうことだ。自分の歩きたい道を自分で選び、自分で歩いていくべきなのだ。
薩摩男子の知り合いはいないが、みんなそうなのだろうか。とりあえず関西人の僕にはわからないが、「何もせず批判だけしている者」は関西でもスベっていると言える。
しかし一定数こういう人物はいる。たしかに彼らは男の世界から外されてしまう。
「何かをやるぞ!」というときに仲間にいるとモチベーションを下げる一方だからだ。そして「何もせず批判だけしている者」は勝負した際の結果だけで物事を判断してくる。
勝負は時の運なのだから勝ったり負けたりを繰り返すし、全勝なんて誰もできない。
ただ負けるにせよ、負け方が大切だし、「負けるぐらい何だよ」という気概はプラスしかない。
もちろんいつだって首位にいる一、何かに挑戦し、成功した者になりたい。
なれるかなれぬかは置いといてそこ目がけていきたい所存である。
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