独りの時間を望むほど人間関係に疲れてる!

ひとりで過ごす時間が多い。

知人に言われて自覚したのだが、どうやら平均よりも多いようだ。

たしかにオフィスにいることもないし、友達と飲みに行くような遊びもほとんどしない。

たまにTwitterやnoteから飛んでくる「話したいんす」という酔狂な「初めましてさん」と食事をしたり、知り合いと会食だのはあるが、基本ひとりが多い。

人間関係を断ち切りたいわけでもないし、男女問わず、身の回りのひとは大事だ。

それでも僕は「ひとり」が好きみたいだ。

そもそも「ひとりが好き」なんて感情は、誰かと繋がっているから生まれる。

無人島にひとりで生まれたなら「ひとりになりたい」などとは思わないだろう。

『孤独』は盛り上がる複数人の温度差によって生じる生活病だ。

ここnoteを読みにきてくれているひとの中には、ひとりの時間を望む方もいるだろう。

ひとりの時間を望むほど、人間関係に疲れている。ひとりの時間は治癒の時間だ。必要最低限摂取しないとならない。

ひとりで酒を飲んだり、食事をしたり、映画を観たり、本を読んだり。

なんでもいい。ひとりの時間を楽しめる能力を「教養」と呼ぶのだ。

ただし、そうやってひとりの時間を楽しんだ後は、必ず戻らなければならない。疲れて、イライラしている人々の群れの中に。その事実だけは心に留めておかないといけない。

旅行は帰る家があるから旅行なのだ。
本当に独りぼっちならば、「ひとりの時間」なんて無用だ。

さみしさを噛みしめたときに、じわりと味がするのは、集団に戻る約束があるからだ。

帰り道が約束されていない旅路は楽しくないのだ。

「ひとりの時間」は「自分が独りきりじゃないこと」を感謝できる時間でもある。

そんな時間を楽しめる方が面白いやつに近い。

ひとりが耐えきれず、何でも誰かと一緒じゃないとできない男など笑えないではないか。

ひとりが上手い人間ほど、他人との関係の作り方も上手かったりする。

群れから離れることもできるひと。
さびしさを理解しながらも怖がらず噛みしめられるひと。
ひとりはラクだけど、ひとりでは生きていけないことを知っているひと。

人間という字は『人と人との間で生きるから』という意味合いがある。

「ひとりの時間」を十分に楽しんだら、やがて陽が暮れる。母親から帰宅を告げられるように、群れに戻る時間はやってくる。

煩わしくも温かい「群れ」の中じゃないと、本当は息ができないからだ。


音楽を作って歌っています!文章も毎日書きます! サポートしてくれたら嬉しいです! がんばって生きます!