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やる気が出ないときって○○のことを考えていることが多い

「効率厨になってないかな俺……」というのが半年に一度ぐらいの周期で怖くなる。効率厨とは何でもかんでも効率化で考えて、効率的なことが効果的だと認知バイアスのズレが生じている人間のことだ。

何が悪いかと言うと、めちゃくちゃ大事な「モチベーション」というコンディションに触ってきてしまうことだ。

年下と話すと「モチベーションが上がらない」という元も子もない相談を受けることがある。
これは相談というよりグチだし、諦観すらも漂っている。取り組むべきミッションに対する末期状態とも言える。厳しく言えば「じゃあ辞めちまえばいいじゃん」と死刑宣告を言い放ちそうになる。というかけっこう放つ。一見、横文字モチベーションを使っているせいで、それっぽいトラブルに聞こえるが、「やる気ないっす」という何かをナメている状態と変わらない。

もちろん「それっぽくする」というのはわりと大事だ。
相手を不快にさせない気遣いとも言えるし、オブラートに包んでいるとも考えられるし、そう思うと敬語みたいなものでもある。

小学生の頃、僕は「学校行きたくない!」と騒ぐ子どもだったが、両親は「子どもは学校に行くのが仕事!」と秒で返してきた。

「嗚呼、仕事は物事に仕えると書く。そんな文部省の手先になったつもりはないし、不登校を希望する人権もあると思うのだが……」と考えられるほど、言語能力が発達していればよかったのだが、子どもは馬鹿なので「イヤなもんはイヤ!」と泣くしかない。この話はあまり関係ないので、ここでは置いておく。

「イヤ!」や「人権が……」などと不平不満を述べるのではなく、「登校のモチベーションが上がらない」と言えば多少は聞いてもらえていたのかもしれない。

「モチベ上がらない」という慣用句には「やる気がないわけじゃないんす。反抗的な気持ちもないんす。ただやれないんす。上げたいんす。モチベさえ上がればなぁ、がんばるのになぁ」という申し訳なさと淡い他責思考が漂って、伝わってくる。

先生にも「受講のモチベが上がらないからリフレッシュしてきます」で保健室に行けばわりと殴られなかった気もする。

僕自身の人生を振り返ると「モチベーションが上がらない」という言葉を吐いた記憶がない。「イヤ!やりたくない!」と言い続けている。書いていると「モチベ」という言葉を自在に操ることは社会人としての嗜みにも感じてきた。

まぁグダグダ言ってもやる気がないのだ。めんどくさいし、つまらない。とにかくイヤなのだ。じゃあ「やる気がない」やいわゆる「モチベ上がらない」というのはどういう心理状態なのだろうか。

やる気が出ないときって「効率」のことを考えている場合が多い。

何でもかんでもショートカットを狙おうとするとモチベーションというのは下がる。

ゴールを目指すため工夫するのは素晴らしいことなのだが、大体の工夫が約分だったり近道だったり、裏ワザだったりの「余分なプロセスを吹っ飛ばす行為」にあたる。

案外、不要と思えたプロセスが体をあっためる準備運動になっていたり、遠回りすることでやっていたからこそ面白いことがある。

しかし本人も潜在的に感じているレベルなので、そのプロセスを取っ払ってみないと気付かない。

イチローのバットを立てたルーティンを取っ払って打率が下がったとする。こうなると改善のためにビデオでいくらバッティングフォームを見返しても分からない。

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というかプロセスを引っこ抜くと「つまらない」や「失敗」といった成果は表面化するけれど、なぜそのような結果になったかは分からない。

その「余分なプロセス」が原因で面白くなっていたこと、成果が出ていたことには、相当気を張り巡らしていないと気づけないものだ。

「今の通勤時間60分がムダだから、会社の近くに住もう。その方がたくさん寝れるや」と考えたとしても、実際にそうなるかは分からない。

案外、近くに住んでいるから夜更かしが増すかもしれない。
0〜7時の睡眠時間が1〜8時になってしまい、日付けをまたくスリープバイオリズムが当人に合っていないかもしれない。
また、通勤時間に読んでいた本、やっていたスマホゲーム、見ていた動画がモチベーションやストレスの解消になっていたのかもしれない。
起床してからいきなり会社に行くと寝ぼけた頭すぎて午前中がムダに終わって、結局残業することになるのかもしれない。

嗚呼、あの60分の通勤時間ってムダじゃなかったんだなぁ。

なんてことは頻繁にある。

合理化、効率化というのは、詰め始めるとどんどん約分ができて楽しい。イメージしても「良くなるに決まっている未来」ばかりが浮かんでくる。だけど、どこかでイメージ通りにならなくなったり、約分しきれなかった箇所に触れているとモチベーションが下がる。

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もちろんやる気が出ないときはそういう時期なのだと割り切って、「やる気でないなりにも触れる何かしら」に触れていくことが何より重要だ。

やる気がないからと言って微動だにしなかったり、ASOに出かけてばかりじゃ石一つ動かせない。なんかしらはやっておく方がいい。

だけどその前に「効率厨になってないかな俺」という自分への問いただしを日々やり続けておくことも大事なのだと思う。

生きていると、少しは知恵がつく。地頭じあたまは悪くても小賢しさみたいなものが身についてくる。すると何に取り掛かるときでも「まず効率化」「まず合理化」を行うクセがついてくる。これはあまり良いことでもないのかなぁと。自戒を込めて。

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