おもいで

バンドやるため上京してからのまとめ

2010 「バンドやるわ」と言って上京

2011 メンバーに「俺やめるわ」と言われて解散。別のバンド作り直す。

2012 いっぱいライブしていっぱい曲無料配布

2013 ロッキンのコンテストで優勝

2014 事務所に入ってCD六枚ぐらい出す

2015 事務所に逆らって辞める。災難続きでMVの監督とか飛ぶ。何故か損害分自腹。

2016 クラファンとかやる。メジャーデビューする。制作費宙に浮かせたままからの自腹。

2017 ライブしまくる。メジャーセカンド発売。

2018 解散。

僕の進路は「TOKYOでバンドやるんで」というものだった。なんていうかいろいろと考えられる中でも、一番終わってる感じのものだった。

そしてそれから8年も経ってしまった。僕は8年のあいだ、いろいろやっていたみたいだ。

振り返ったら恐ろしく一箇所にジッとしていない。そして落ち度も大分ある。

もう少し上手く生きれなかったもんだろうか。でも反対に器用だったらこんなにできなかったようにも思う。

そう考えると、コレしかなかったようにも感じる。そして「8年後にこうなるよー」と分かっていても上京していたと思う。

思い返すと、いろんな大人たちに翻弄されたし、その10倍は掻き回して迷惑をかけた。

イマも変わらないが、僕はとにかくめんどくさいやつだった。

入ったこともないどこかのレコード会社の会議で「あのバンドのボーカルの子は超めんどくさいらしい」という声が上がるほどだったそうだ。

謝罪したいがそれすらも叶わない。

いろんな人間がいたけど、そのほとんどがもう周りにはいないからだ。遠くから見てたひとも、週5で会っていたひとも等しくいない。

積み上げたか?と聞かれると積み上がっていない気もする。だけど空白だったか?と聞かれたら塗りすぎているぐらいには濃い。

「もっと上手くやれた」なんて人間やってるやつなら、全員が思うことだ。思わないやつなんていない。
それでも人生はいつも少しだけ間に合わないし、引き返すこともできない。全員がビギナーの域を超えないゲームのプレイヤーだ。

ここから8年経ったら2026年。
イマまわりにいるひとのほとんどがいないのだろう。そしてまた「もっと上手くやれた」と思うのだろうか。

人間が集まるとコミューンができる。四人だけでもミニサイズの「政治」はある。気苦労の無い人間関係なんて無い。

一人になれないと嫌だけど、一人が続くと非常に寂しくもなる。



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