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あしたのジョー

「その名を知らない人はいないんじゃないか?」と言うぐらい有名なボクシング漫画だ。

そんな「あしたのジョー」も、今年50周年だ。

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とにかく有名だ。

固有名詞の知名度は「タモリ」や「読売巨人軍」に匹敵するだろう。

しかし、この「ジョー」、知名度のわりに意外と読んでいる人は少ない。発行部数も2000万部と控えめな気がする(あくまで"知名度のわりに"だ)。

ためしに同じ2000万部前後のコミックを見てみよう。

『アイシールド21』『ツバサ』『魔法先生ネギま!』『D.Gray-man』などが挙がる。

どれも著名な作品だし、名作揃いだ。

だが「ジョー」の知名度はこの中に入れてもケタ違いだ。

「ジョー」の発行部数を調べたときの感想は「少なっ!」だった。

正直、億ぐらい刷られてると思った(ワンピースは3億2000万部、タッチ、鉄腕アトム、ドラえもんなどが1億部)。

なんで売れてないんだ!という感想しかない。

でも世間のことなどことはどうでもいい。

そんな『あしたのジョー』と僕が出会ったのは小学生の頃だ。

これ以上ないぐらい、インスパイアされまくった。


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あの頃、世の中はどんどん効率化が進んでいた。

消費税は5%に引き上げられ、アクアラインや高速道路が日本中に誕生した。
WindowsというOSのおかげでパソコンは瞬く間に一般家庭に普及した。安価なノートパソコンも次々と発売された。

そして自分の感情を抑制できずに怒りが爆発することは「キレる」という言葉にまとめられ、美容院やショップの魅力的な店員は、カリスマという言葉の枠に収まった。

「賢く、効率的であることが何よりも正しい」

90年代後半はそんな時代だった。

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その最中、「ジョー」は僕のもとにやってきた。父親が買ってきたことをよく覚えている。

1970年前後の作品の読み味は、1990年代連載されていたコミックとはまったく違ったものだった。ジョーの生き様は、僕が生きる時代とは明らかに逆を行くものだった。

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イップスで首から上が打てなくなっても、吐き続けて戦う。成長期を迎え、減量が厳しくなっても階級を上げない。パンチドランカー症状になってもリングに上がる。

そしてジョーは灰になるまで戦って廃人になった。

「効率的に成果をあげる」が最高のステータスであった時代、ジョーの考え方、行動原理、生き様は僕にとって衝撃だった。

有名になること、経済的に成功すること、健康に長生きすること、愛する人と生きていくこと。
僕のまわりの大人や、世間が素晴らしいと賞賛することをジョーは何一つ欲していなかった。

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ジョーも世間的に認められ社会的、経済的に潤っていく時期がある。東洋チャンプになる頃だ。

それでもジョーの安息の場所は孤高の中にあったし、「細く長く」に価値を見いださなかった。

世界戦の控え室で白木葉子の告白を受けるシーンや、乾物屋の紀子にボクシングを辞めるように諭されるシーン。

皆、ジョーの身を案じていた。

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だがジョーは一言の礼を添えるだけだった(星飛雄馬はここで取り乱す)。

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仲間は拳闘を辞めて結婚していく。会長は俗世間に染まっていく。

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それでもジョーは独りで戦い続けて灰になった。

だけど、あの時ジョーが紀子の言いなりになっていたら僕は読むのを辞めただろうし、葉子を抱きしめでもしたらガッカリしただろう。

ジョーは僕の知っていた世間とはすべて逆だった。しかし何故だかシンプルに僕の胸を打ったし、あまりにセンセーショナルだった。

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ジョーの試合は鬼気迫るものがあり、本能的に訴えかけるものがあった。

矢吹丈は「どうしたら自分の中の燃える炎を燃やし尽くせるか」を最優先に考えていた。

そして最終回、完全に自分の中の炎を燃やし尽くし、自己実現を達成した。

ジョーは有名になることや、経済的に成功すること、健康で文化的な暮らしを送ること、長生きすること、愛する人と生きていくことに目もくれず、一つの目的を追いかけた。

僕は『あしたのジョー』と出会ってから「効率よくやること」に価値を見いだせなくなった。

その代わり、自分の中にある目的のため生きていくようになった。ジョーのように自分の中のスピリッツを燃やして生きていきたくなった。

「自分に嘘をつかずに生きる」

「信念の道をまっとうする」

そういう類いの言葉が世の中にはたくさんある。親や先生も口にはする。
でもそれを僕の前で分かりやすく体現してくれたのは矢吹丈だけだった。

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僕は誰かの感情を動かしたくて音楽を始めた。
自分がジョーに心を動かされた時のように心を動かせたら嬉しいとずっと思っていた。

僕もあなたもお金のために生まれてきたわけではないではないか。

ごはんを食べるためでも、子孫を残すためでも、長生きするためでもない。

情熱を燃やし尽くすために、何かをやり尽くすために生まれてきたはずだ。

「どこまで燃やし尽くせるか」

そう思って生きていきたい。いつだって消えていい。灰になりたい。ジョーみたいに。



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