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明日も無いのに将来の話ばかりしていた

これから先「将来どうなりたい?」なんて話をすることが何度あるだろうか。あの頃は、それを毎日していたように思う。

僕たちは明日の予定も無いのに、将来に漠然と期待していた。トゥモローではなくフューチャー。「あしたのジョー」に出てきた意味合いの"あした"なら自分たちにもあると信じていたのだ。だから横丁のあの店の、あの時間帯はいつも「将来どうなりたい?」で埋まっていた。

0時まではサラリーマンや学生を始めとする人々が店をにぎやかす。

だけど日付けをまたぐと、店は次第に静かになっていく。一人、また一人と店から人が去っていった。

"明日"のある人々は店を出て"あした"にすがりつく人々は店に残り続けた。

午前4時頃になると、"あした"なんて到底見えない、将来が消滅した人間たちの掃き溜めみたいになった。

元殺人犯や、学校に行っていない15歳。アル中の40歳が肩を寄せ合っていた。そのなかに僕もいた。後部座席に四人乗ったタクシーのように身を寄せ合った。

「類は友を呼ぶ」と言うが、同じレベルの人間は身を寄せ合うらしい。居心地がいいからだろうか。
バラバラの席に座っていた僕たちだったが、同じテーブルを囲むまでに、そう時間はかからなかった。

あの頃、世の中では「意識高い系」という言葉が流行りだしていた。
mixiやAmebaという小さな世界のなかで、自分を装飾する行為が始まりだしていた。ソーシャルメディア黎明期だ。

しかし僕たちは「意識低い系」どころか、「意識無い系」だった。ほとんど気絶していた。
日々の積み重ねも何も無く、だけど先に何かがあるんじゃないかとだけ思っていた。

その年の流行語大賞である「格差社会」は数ヶ月後に発表される。

「将来、俺は淀川の添いのマンションに、住む!」

元殺人犯はいつもそう言っていた。

淀川の添いのマンションは億ションで、株やFXのトレーダーが沢山住んでいるらしかった。

「私は絶対愛される!」

高校を1ヶ月で中退した彼女は日本酒を5合も6合も開けて、毎日くだを巻いていた。
彼女の話題は「愛されたい」と養父の悪口だけだった。

アル中の40歳はもう何を言っているのか分からなかった。「幸せになりたい」とだけ言い続けていた。

僕はずっと「まともになりたくない」と言っていた。僕も毎日、日本酒を限界まで飲んでいた。

なぜ僕は「まともになりたくない」とばかり言っていたのだろう。あの「まとも」が何だったのかは思い出せない。

思い出せないけど、たぶん僕はもっと自由になりたかったのだと思う。

なんとなく気付いていた。

何も考えずに生きていけば、そのまま流されてそのまま働いて、そのまま死んでいくことを。それが一番ロクでもない死に様だと、信じ込んでいた。

まともなひとから見ると、「将来どうなりたい?」と連打していた僕たちは、むしろ世の中から「将来どうするつもり?」と聞かれてしまうような存在だった。

でも、今思えばだが、あの「将来どうするつもり?」が寄り集まった時間は宝だった気がする。

鬱屈していた時間が僕を作って、僕が作ったものが、あれからの十年、ずっと発火していった。

誰しも何の生産性も無い日々は訪れる。

でも後々それが人生のなかで、わりとかけがえの無いものになったりする。

こんなどうしようもない連中と、どうしようもない時間を過ごすことが、二度と手に入らないものだったりする。

2014年3月。あの店は火事で焼け落ちてしまった。彼らの将来はどうなったのだろうか。

久しぶりに電車に乗った。動悸が止まらなかった。

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