絶好調の絶頂を通り越して
生きていたら「絶好調」なんて言葉では収まらないほど良い日がある。これを僕は「『良い時間』が流れている」と呼んでいる。
「良い時間」は何か特別興奮するわけでもなく、おめでたいわけでもない。ただ、静かに高揚しているような節度ある万能感に包まれる。
健康なんだけど、それに溺れておらず、ただ自分を取り囲む空気そのものが素晴らしく穏やかに思える。
日々、この「良い時間」を目指しているわけでもないし、依存しているわけでもない。良さへの飢餓感なんてものもない。
「つまんない日」がほとんどなのは知っている。もう長いこと人間をやっているせいで、ある程度学習した。もう変な希望は持っていない。「人生はちっとも素晴らしくない」とまでは言わないが、特別な日は年々少なくなっていく。
それでもたまに「良い時間」はやってくる。喫茶店でボーッと珈琲を何十分もかけて飲んでいるときにふと「あ、今じゃん」と気が付いたりする。
この「良い時間」の前後を注意深く観察していると、僕は何かを創作しているケースが多い。
ものを創るというのはじつに尊く、いくつになっても、仕事になっても「お金になる」を超えたメリットをもたらしてくれる。
音楽にせよ文章にせよ、「しっくり生み出せた」ものは体内に一定期間保存されていて、作り手自身の魂をオートで磨いてくれているように思う。
磨かれているうちは、前述の「良い時間」の中で息をすることができる。
アル中病棟にいても、会いたくない人間と顔を合わせていても、嫌なニュースを見ても支配されず、ネガティブに空気感染もせず、破壊的なマインドにもならない。
「そういう時間を味わうために、その時間に針を合わせるために生まれてきた」とも思う。
創作はいつだって豊かなものが生まれるわけでもないし、怒りや哀しみや苦しみに痛みが源泉になっていることのほうが多い。これはこれで反対向きにでも、その針を「良い時間」に合わせようとしている節がある自分に気付く。
今日がそういう日だったというわけでもないのだけど、またいつか来るか来るかと待ち侘びている。
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