理想と現実
やりたいことが見つからないひとはけっこういる。別にやりたいことがなくたっていい。実際、「誰かの役に立ちたい」が「やりたいこと」だったりもする。
どんなに音楽が好きでも誰の役にも立たないものだったら、僕もここまで続けていない。そう考えると「やりたいことがありません。悩みです」なんてそこまで気にしなくてもいい。
やりたいことが無くても「こんな風にありたいな」はけっこうあると思うからだ。
だからこそ『ありたいカタチ』と実際の姿がかけ離れていると僕たちは不幸になる。「本当はこうありたくないけど、仕方ないから」を積み上げすぎるとキツくなるのだ。
人生は短くて忙しい。死ぬまでのわずかな時間、少しでも現実を理想に近づけていきたい。
僕たちの中には大なり小なり「理想の自分」と「現実の自分」がいる。
「理想の自分」は憧れかもしれないし、目指しているあり方かもしれない。
「スポーツがうまくなりたい」
「明るい人気者になりたい」
「学年テストでトップ10に入りたい」
「人並みの最低限どの文化的な生活がしたい」
「水が飲みたい」
「ギターが弾けるようになりたい」
「ギターを弾いて収入が欲しい」
みんなが少しずつ「こんな風にありたいな」をみんなが抱えて生きている。その難易度や規模には個人差がある。
夢や目標!といった大きな話じゃなくても、みんなの心の中にある
ちょっとした「こんな風にありたいな」も同じだ。
「笑顔で悩み無く、過ごしたい」「みんなと仲良くしたい」といったあり方だって「理想の自分」と言えると思う。
ここでの「理想」は、「いつまでも寝ていたい」「好きな物を好きなだけ飲み食いしたい」「100おくまんえん欲しい」といった種類のものとは違う。端的な欲望や、お金とかではないということ。
たまに就活の面接とかでも聞かれる「尊敬する人物」というものがある。
イチローさん、ボス(YAZAWA)、椎名林檎さん、アインシュタイン、
坂本龍馬先輩、ご両親...etc。
現代のヒーローから歴史上の偉人や、身近な先輩などを就活生たちは挙げていく。
そんな心の師匠たちはたしかにお金持ちだったりするケースがある。
だけど僕らがその人たちを尊敬しているのはそういう理由ではない。
「その人の生き方が魅力的だ」と思っているからだし、自分もそんな風にありたいからだ。
僕はjuJoeというロックバンドをやっている。QOOLANDという存在はこの世から抹消され、いまだに音楽に人生の貴重な時間を割いている。
大仰に聞こえるかもしれないが、こういうことだ。
juJoeという名前を動かして行きたい場所やありたい姿がある。
ここには僕なりの「理想の姿」がある。
この「理想の姿」と現実の行動があまりにかけ離れていると、不幸だし苦しい。だから少しでも自分のありたい姿に近づくために、色んなことをやっている。
人によっては「努力」と呼ぶ人もいるかもしれない。「工夫」かもしれない。表面だけ見ると「やりたくないなぁ」と思うことが無いわけでもない。
何もせず、家で寝ているだけの方がカロリーも使わないし、ストレスも無い。楽に決まっている。
楽ではあるけど、理想とはほど遠い自分の姿にきっと僕は吐き気がするのだ。
色んなことを怠けてしまうこと、サボってしまうこと、逃げてしまうことが沢山ある。
でも僕の中の「理想の自分」はずいぶんと立派なやつで、楽ばかりしていなかったりする。
だから現実の行動が「理想の自分」に重なった時はテンションがブチ上がる。
人間、出来ることしか出来ないんだけど、理想の自分はやっちゃってるなら、たぶん出来ることなんだと思う。
「ホンマはこんなことやりたないねんけど、しゃあないからやってんねん。ホンマの俺はこんなやつちゃうねん」が何日も続くようだったら、自分を変えるタイミングなのかもしれない。
【理想と現実】ってお金や仕事の話だけではない。魂の話でもあるのだ。
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