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「新しい音楽を探すこと」が好きなひとはバンドの専属マネージャーになるよりは、出版社で持ち込みに対応する方が楽しいかもしれない

数年前、新宿の駅構内を歩いていたら「やりたいことで生きていく❗️」とデカデカ書かれた広告が目に飛び込んできた。

何度も聞いたことのある言葉だし、僕自身も言ってきた言葉だ。「その意気や良し」と言ってくれるひともいたし、「生きるってそんな甘くない」と冷水をぶっかけてくるひともいた。

10代ならば一度ぐらい「やりたいことで生きていくことはできるのかできないのか?」という問いに苦しむんじゃないだろうか。

苦しむひとがいるからこういう広告も誕生するのだと思う。やりたいことで生きていくのが常識だったら言う必要がない。思索するひとが一定数いるからカウンターとして有効なのだ。「息を吸って吐いたりしたら、いいよね!なんか苦しくないしさ!」なんて広告は生まれない。当たり前だからだ。

きっとみんな一度は「やりたいことで生きていく」について考えたことがあるのだ。「やりたいことが分からない」という相談もここnoteを通じて、たまにくる。「やりたいこと」という日本語にカツアゲをくらっているのだ。

ひとの心の中には常に「やりたいことで生きていく」があるのだと思っている。

どんな楽観的なひとでも考えないことはないんじゃないか。もちろんいるのかもしれないし、「ぐおお、やりたいことで生きていきたいぜぇ……!」というほどではなくとも、「そういう類いのことはわたくし1ミリも考えたことありません」という人間とは話しても何も出てこない気がする。

しかし今思うのは「やりたいこと」なんてそんなに大切じゃないということだ。

例えば「音楽がすきだから」という理由でレコード会社なんかに勤めだした知り合いは多い。だけど実際、充実してしているひとは少ない。

この【何々がすき!】でそのまんま突き進むと、わりと膝が折れて泣くことになりがちだ。
反対に【何々のこういうとこがすき!】など過程、プロセスに視点を置くとそんなにミスらない。

もしかしたらすきなのは「音楽」ではなくて、「新しい音楽を探すこと」だったりするかもしれないし、「アーティストを応援すること」だったりすることかもしれないし、「整理してジャンル分けすること」だったりすることかもしれないし、「音楽のレビューを書くこと」だったりするかもしれない。

「探すこと」「応援すること」「整頓すること」「書くこと」なんかに焦点を当ててみると、音楽業界以外でもいろんな業種があることが分かる。
もしかしたら「新しい音楽を探すこと」が好きなひとはバンドの専属マネージャーになるよりは、出版社で持ち込みに対応する方が楽しいかもしれない。

視点をワイドにしてみると、案外「やりたいことで生きていく」というのはそこまで難しくないことが分かる。

そして「すきなこと、やりたいこと」というのは、じつはあまり自分を豊かにしないし、面白いことにもならない。どちらかと言うと、「他のひとがやってほしいと思っていること」を繰り広げていくことの中に「本当はやりたかったこと」が眠っている。

多くの誰かが「他でもないお前にやってもらいたいのだ」と願っていることというのは、必然的に自分もまわりも豊かにする。

人生の大半をまわりを貧しくしてくることに費やしてきたので、まわりを豊かにすることがやたらと素晴らしいことだと思ってしまうのだ。

「やりたいことで生きていく❗️」という広告のやかましさが少ししんどい。「それ、ないとダメなんすか?」と絡みたくもなるし、その「やりたいこと」だけにフォーカスすると、どうにも薄っぺらく見えてしまうのだ。


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