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男の30歳前後

嗚呼、35歳になった。

生まれてからそれ相応の年月が経った。重要な年齢かと問われればYESだ。重要じゃない年齢なんてものがあるのかは知らないが、35歳はじつに重要だ。

30代の一つの目指す旗は「自らの人生に納得感を持つこと」だと思う。20代は「俺はこんなもんじゃねー❗️」とあがき、もがき苦しみ生きていくのも有効だ。
しかし35歳になって「俺はこんなはずじゃなかった」とか言っている男の周りに人間は集まらない。

ではその狭間はどうなのだろう。男という生き物にとって、この「27〜33歳」ぐらいの年齢は大切すぎるんじゃないだろうか。

今日も無事に暮らせている僕自身の生活だがこの要因をたまに考える。「俺はなぜ暮らせているのだろうか…….」と一人でぼーっと思索し続けているのだ。

なぜなら普通に考えたら僕のようなボンクラ野郎は、人並みの暮らしを享受できるはずがなかったような気がするからだ。

学校もちゃんと行かずにギター小僧をやり、月収5万で家賃6万の家に住んで、「俺バンドやるわ!」などと上京して一年足らずで解散。

その後にQOOLANDを必死にやったが、無い力を振り絞り、10年持たずに解散。その前後で秒殺でアル中と重めのうつになり、入院から逃げ続けた。

それでも人間をやれている。これまでを思えば贅沢なほどに文化的に、人間らしくやれている。まぁまぁの家賃、車アリで都内に住んで、好き勝手やって1000円ぐらいのものをためらいたく食えている。

これは「今の毎日の頑張り」もあるが、「30歳前後を雑に生きなかったから」だと思うのだ。
結局あの27〜33歳頃の時期に全速力で、心身がブッ壊れる勢いで走っていたから生きていられているんじゃないだろうか。

三十路前後という年齢はいったい何なのだろう。思い返しても不思議な感覚だった。

心身が充実していて、経験も多少あり、自分自身に勢いもあるのだが、知恵もそれなりに備わっているのでバランスが良い。さらに言うと『俺』という人間が、社会にほんのり馴染んできてまでいる。

会社で働いたり、本格的にバンド活動を始めるのが23歳ぐらいからと仮定すると『三十路前後』とはいわゆる「実力」がついてくる頃合いなのだと思う。言うなれば、男が初めて「俺ってまぁまぁ需要あるかも……」と体感するタイミングなのだ。

もちろん個人差はあるけれど、自分自身23歳の頃よりは必要とされているし、コミュニティ内で重要視されてもいる。

※23歳(必要とされていない)↓

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※34歳(まぁまぁ必要とされている)↓

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では人生一度目のパワーアップタイムである三十路前後。何をするのが正解なのか。

たぶん、本気で生きた方がいい。

ほんのり無茶するぐらいで、やりすぎるぐらいでもちょうどいいと思う。マジで命がけで気合いを入れて今一番大切なことに取り組むのだ。

反対にこの三十路前後のタイミングで本気を出していないとマズイ。心身共に充実し、キャリアにも脂が乗っている時期に手を抜くと、まず見た目からダサくなってくる。

僕は三十路前後における「見た目の若さ」は非常に重要だと思っている。

若い人々の輪に混ざるときに「変な空気にならないぐらいの見た目」であることは得をするからだ。若い人に違和感なく受け入れられると、新しい情報やコミュニケーションを学べるし、機能的にも精神的にも老け込まないで済む。その次に頭が衰えるのだ。

身の回りのR35歳は、三十路歳前後に成し遂げたことをベースに生きているように思う。
キャリアを元に人生をやるのは何歳でも同じだが、R35は「経験」ではなくて、「実績」を元に生きるようになるんじゃないだろうか。

実績を追い求めなくてもいい時期ももちろんあるけれど、男の三十路前後だけは実績を狙うに越したことはない。その達成のために本気でガムシャラに生きておくことだと思う。

ついに35歳になり、そんなことを思った。

8年ぐらい前にはQOOLANDを死ぬ気でやっていて良かったし、5年ぐらい前は会社を大きくしていて良かった。それらの土壌の上に『さよなら、バンドアパート』の映画化みたいなご褒美が転がってきた。

ここからも変わらないスタンスで表現を続けてクオリティを追い求めていきたい。

稼ぐことから逃げないで、良いものを作ることからも逃げないで、入院から逃げ続けていたい。

LINE@のアレがたまに「書籍化されそうで、ギリギリで落選する」を繰り返したりしている。いつかカタチになるだろう。なる気がする。この前note本社の取材があったけど、LINEの話しかしていなかった。全然「俺はこんなもんじゃねー❗️」でもがいてんじゃん。


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