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小さくてもいい。一筋の光を見つけたい。



31

アイスクリーム?

野球好きならヤンキース時代のイチロー?

あなたは「31」と聞いて何を連想しますか?





ここで言う「31」は私の年齢。そう、先日私は31歳になりました。今まで私は歳を気にすることなく生きてきたのに、生きてきたはずなのに、一気にのしかかった様に「31」という数字を重く受けている今日この頃です。

コロナによって夢や希望をぐちゃぐちゃにされた人は計り知れないでしょう。

私もその一人だと自負しています。


「いつか海外旅行たくさんしてみたいよね」
「世界一周旅行って憧れるよね」
「綺麗な海のそばで暮らしたいね」


誰もが思う様な大きな夢、希望または願望。



「世界中の国を訪れてみたい!」


私は子供の様な夢をバカ正直に考えて、計画を立て27歳の時に台北行きの片道切符片手に世界へ駆け出しました。銀行員世界へ出向ってな感じだったわけです。

これが自分の人生で初めてできた夢でした。

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それから近くの国を調べては地元の人に混ざりながらとにかく安い手段で、移動しては国境を越え、安宿に泊まって生活していたのです。いわゆるバックパッカーです。

本当にたくさんの人と会いました。英語も伝わらない世界でも、食事をしたり、家に招待されたり、宗教を学んだり、騙されたり、どんな本を探しても見つからない世界を毎日毎日過ごしてきたわけです。

事件に遭って自分が死ぬ以外はこの生活が続くと、最後までこの夢を歩き続けられるのだと何も疑わずに過ごしてきました。



しかし、あの忌々しい病気は瞬く間に、本当に瞬く間に世界の形を変えていきました。

オーストラリアでアフリカ、南米の旅のお金を3ヶ月少し稼ぐために滞在するはずがコロナウィルスのせいで結果的に1年以上滞在することになりました。

ジョンズホプキンス大学のホームページを毎日にらめっこする日々。

続々と増える赤い円。そして日々大きくなっていく円。

次々と閉まる国境。

帰国する旅仲間たち。

私はその時すぐに悟りました。

「もう旅は続けられない。」

わかってる。わかっているのに、どうすればいいのかわからなかった。

幸いオーストラリアは感染者が少なく、マスクも必要ない生活ができたため、友達と遊びながら現実から目をそらしていました。辛かったから。

本当に辛かったです。


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私は人に流されやすく、自分と言うものをなかなか持てない人間でした。

いつからなのかと思い返すと大学受験の頃からかもしれません。

そもそも中学で親父にテストの点数よければお小遣いもらえるから、
勉強した甲斐あっただけで中途半端な進学校に入り、大学進学の「だ」の字も考えてなかった自分が大学に行ったのも「周りがいく」からでした。

そんな私も何か目標を見つけると頑張れる性格だから受験勉強自体は頑張るものの、入学後の目標はこれと言ってなく、私大文系大学生のテンプレの様なバカみたいなどうしようもない生活をして、とりあえず有名だからって受けた銀行に就職してしまうわけです。

そんな過程で、「はて、俺って本当に銀行員がやりたいんだっけ?」
みたいな自分探しの迷路にはまっていきました。

合コンも1年で飽きるし、このまま結婚して、子供できて、、、あれ?みたいな。

こんな自分が初めて自分の気持ちに正直に

「やってみたい!!!」

って心躍る様な夢を持てたのが世界一周の旅だったわけです。

自分は部長に退職の意向を告げたとき、

「ここから新しい人生が!希望に満ちた俺の夢を叶える人生が!!」

「始まるんだ!!!!」

とにかく自分の中に大きな光が見えた。そんな瞬間でした。


しかし、、、


100年に1度のパンデミック。

世界初世界国境封鎖。


ここまでピンポイントで自分の夢をぶっ潰された感覚がある人はそうはいないと思ってます。

それぐらいキラキラに輝く光が消えてしました。一瞬で。

「なんで今なんだよ。なんで1年後じゃないんだよ。」

暗い部屋で一人何度も泣きました。毎日一人で苦しみました。友達に言ったところでこの苦しみは自分でしか理解できないと思ったから。

それでも決断するときはきたそう思い、
もうこのままオーストラリアでダラダラ過ごすならば、日本に帰り仕事を見つけ、”普通の生活”に戻ろう
そう決心しました。

何もしていなかったと思われるのも癪で、1ヶ月で就活に使える程度のTOEICのスコアをとって、スペイン語は0から2ヶ月でDELEのA2を取得し日本へ帰国しました。

オーストラリアの図書館の往復の日々。決めたからには前向きに!と、
毎日「これでよかったんだ」とこの絶望的な日々を如何に前向きに見ようかと心がけました。


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そして、日本に帰国。

私はモンゴルであった友人がオーストラリアにいたので、最後の再会をして涙のお別れをしました。

1回目の緊急事態宣言下での帰国、ANAの直行便に乗る人は10人程度。エコノミークラスでもビジネス並みのサービスを受けれちゃう様な環境下で帰国しました。

本当は地球を回ってアメリカ、しかも両親が好きなハワイに招待して3人で帰ることが最後の目標でした。

自分がオーストラリアから日本に帰国する事、

「なぜこの飛行機に乗って帰ってってんだよ俺!なんなんだよ!くそ!!」

全部が全部が悔しくて悔しくてたまりませんでした。


日本に帰り、両親は安心した様で嬉しそうでもありました。

「二人には心配かけてしまったもんな」

そんな少し申し訳なさからも、就職活動をしっかりやろうと帰国時はすごく前向きに気持ちを切り替えられていた気がします。


ところが、コロナ禍での就職難と職歴のブランクで、大苦戦しました。

65社くらい落ちた気がします。

毎回企業を調べ、自分が働くイメージを「無理やり」作っていきます。


持ち直した気持ちは再び崩れました。

自分がこの現実世界から離れている様な感覚。

浮いている。

この辺りからなぜか急に歳を感じ始め、

親が少し老けたことや、久しぶりに見たテレビで
有名人が歳をとったりしたことに気づき始めてから

夢も希望も感じることができず、

とにかくとにかく朝起きることもしんどい日々が続きました。



ただ、縁があって、7月から仕事をすることができます。

しかし、自分はもがいています。とにかくこの出口のない、深い深い闇に飲み込まれてしまった中で、また何か一筋の光を見つけたいのです。

わずかでもいいから、

それが見えれば、私は一生懸命その光に向かって頑張れる気がするんです。


頑張れる、私が楽しめる、なんでもいい、何かを見つけたい。


魂の叫びっす。大袈裟じゃない。

わかってくれる人がいたら嬉しい。そして、noteに溢れる様々な人生を歩む人のその一部をチラッと覗けたらなって。そう思って今日初めてみました。


長くて読みにくくてすみません。

とにかく、もがいています。今。


takuro


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