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思考メモ:現代における遊びとは何か~宇野常寛「ひとりあそびの教科書」を手掛かりに~

GW中いくつの文章や本を読んだ。その中で自分の中で今まで考えてきたことに引っ掛かるものがあったので思考のメモとして残しておきたい。

『目的への抵抗』

まずは國分功一郎さんの『目的への抵抗』だ。内容をまとめると以下のようになる。

「不要不急」と「必要」の概念は目的と関連しており、贅沢は生存の必要を超えた支出に感じられる。現代社会では消費が主であり、記号消費のゲームに翻弄される。贅沢の本質は目的から逸脱する経験であり、目的に還元できない生活が人間らしい生の核心である。現代社会は目的にすべてを還元しようとし、コロナ危機下では不要不急と名指されたものを排除する傾向がある。自由な行為とは目的を超越することであり、遊びは目的と手段の連関を逃れる活動である。

『目的への抵抗』要約

つまり現代で人間らしく自由に生きるためにどのように「遊ぶ」かが問われている。本文中ではパフォーマンス芸術や著者の社会運動に熱中した経験が書かれているが、この「遊び」の概念は提示されいるだけでそれほど深堀りされている訳ではない。

『ひとりあそびの教科書』

そこで次に注目したいのが最近発売された宇野常寛さんの『ひとりあそびの教科書』である。内容をざっとまとめると以下のようになる。

この本は、一人遊びの重要性を説くもので、想像力を育むための4つのルールが紹介されている。街を走ることや生き物に触れること、一人で旅行すること、物を集めること、ゲームで遊ぶことなど、一人で楽しめる活動を提案している。これらの活動は、自分自身と向き合い、他人の評価に左右されずに自分の世界を豊かにすることができる。一人遊びを楽しむことで、自分がこの世界に存在していることを実感し、他人に認められることに焦点を当てずに生きることができる。
【一人遊びの4つのルール】
・人間以外のものごとに関わる
・違いがわかるまでやる
・目的を持たないでやる
・人と比べない、見せびらかさない

『ひとりあそびの教科書』要約

宇野さんと國分さんは群像2023年3月号で「目的とゲームの「外部」へ」というテーマで対談しているようにこの2つの本はいかに目的から外れるかという点で共通の問題意識を持っている。

両者の違い

國分本ではプラトンやアーレントをひいてあくまで政治的な自由=他人との関わり合いの中での自由とそれを実現するための「遊び」を考えているのに対して、宇野本ではあくまで個人の「遊び」(=個人の自由)について考えている点で異なる。前者は政治の在り方が変われば社会も変わるという視点なのに対して後者は個人の在り方が変わればよい(社会も変わる)という視点である。
國分さんの著書『暇と退屈の倫理学』においても個人のモノの捉え方が消費から浪費(贅沢)に変われば社会も変わるという内容だったので、宇野本は暇倫を國分本は自身でアップデートしているし、宇野本はその問題意識を具体的に引き継いでいるともいえる。

いかにメタ認知するか

どちらの本も根底として暇倫での問題意識を抱えている。それは現代の情報の溢れる社会でいかに自分自身を見つめてモノの見方・捉え方を変えて世界を面白くするかということである。
これは情報社会におけるメタ認知の難しさを物語っていると思う。現代の高度に発達した資本主義社会において生きるために働くこと、次に働くために休んだり、気晴らしをしたりすること、情報の溢れるインターネット(主にSNS)等々、こういったものに惑わされずに自分自身の位置を見つめ直すことは非常に難しい。

今後の課題

しかし、宇野本が示しているようにモノとの対話(=ひとりあそび)を通してメタ認知を更新していくことは可能であると思われる。
残った問題は個人以上のレベル(恋人、家族、大衆、社会など)でいかにそういった価値観の更新を行うかである。個人個人が変わればみんな変わるからヨシとするのか、政治の仕組み(例えば民主主義)などを変える必要があるのか。後者のアプローチは宇野さんの著書『遅いインターネット』でも触れられている。

現代でいかに「遊ぶ」か

メタ認知によって自身のモノの見方を更新するとは、自分の考え方や認識を客観的に理解し、それを意図的に変化させることを意味する。ひとりあそびを通じてモノとの対話を行うことで、新たな視点や発見が生まれ、自身の物語に他人の物語が交じり合い、自然と見方が更新されることがある。しかし、遊びの中で他者との対話を大切にすることもまた重要である。他者との対話を通じて、自分が持っていない視点や知識に触れることができ、自身の考え方を知り、それを更新する機会となる。

現代の遊びでは、オンラインゲームやSNSを通じたコミュニケーションも一般的であり、他者との繋がりを持つことが容易になっている。このような環境の中で、遊びを通じて他者との対話を大切にし、自分自身を客観的に見つめ直すことで、自己成長や新たな発見を促すことができる。

一方で、デジタル技術が進化する現代社会では、一人遊びも非常に多様化している。例えば、VRやARを利用した独自の世界観を楽しむことが可能であり、これらの遊びを通じて、自分の想像力を鍛えることができる。また、クリエイティブな作業を遊びと捉えることで、自己表現や技術の向上に繋がることもある。

結局のところ、「遊ぶ」という行為は、自分と他者、そしてモノとの対話の中で多様な経験を積み重ねることが大切である。現代社会においては、ひとり遊びと他者との交流をバランス良く組み合わせることで、自己成長を促し、より豊かな人生を送ることができるのかもしれない。

真剣に「遊ぶ」ことをこれからも考えていきたい。

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誰の役に立つか分からないが、今興味のある領域の読書マップを残しておきたい。


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『技術時代における退屈』はこちらから読めます。


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