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102.選手としてサッカー部を辞め、陰で僕たちを支えてくれた

皆さん、Boa tarde!

今回は大学時代、僕たち選手のために運営側で支えてくれた友人について書こうと思う。

僕たちひと学年には部員約40人所属していた。皆んなサッカーがしたくて入部した選手ばかりだ。(多くがスポーツ推薦の選手)

大学2回生になるとその部員の中から「関西学生サッカー連盟(学連)」という大学サッカーを運営していく仕事に1名派遣されなければならない。

ここに派遣されることが決まると、大学サッカーを円滑に進めていけるよう運営の計画をし、実施まで全てのことを作業しなくてはならない。

これはどこの大学サッカー部からも派遣される。ある大学では、選手から派遣されるのではなく、外部からサッカー部のために派遣するような大学もあった。

だが、僕の所属していた大学では、サッカー部員から1名を派遣されるシステムが毎年取られていた。

大学1回生の終わり頃から、幾度となくミーティングが開かれて、1名選ばなくてはならなかった。

“僕はサッカーをするために大学まで来たんだ。学連に選ばれると好きなサッカーができなくなる”

そんな想いだった。だが、それは間違いなくみんなが皆んな同じ想いだ。

もちろんそんな中、進んで自ら立候補した選手がいたハズもなく、ミーティングは一向に進まなかった。

それでも1名絶対に決めなければならない。胸が張り裂けられる想いだった。

全員で話し合い、誰が責任感があり運営等任せられるか、サッカー部を代表して誰が適任か。そんな話し合いが続いた。

中には適当な態度を取る選手も居たのが事実だ。何回ミーティングを開いたかは定かではないが、10回以上はしただろう。最終的に数人に絞られて、最後はその中から多数決で決定した。

選ばれた選手は、今もなお仲良くしている友人だ。

はじめは、恐らく本当に辛い想いだったと思う。ただ彼は誰よりも責任感が強く、やると決めた仕事はきちんとやる人間で、僕たち選手のために本当に毎日懸命に働いてくれた。

その仕事はもちろん自分たちの大学で行われるわけもなく、毎日電車に乗り事務所まで通っていた。

最初は、彼もサッカー部の練習(朝の練習)にも参加できていたが、次第に仕事の量も増え、毎日終電で帰宅し(時には朝まで仕事の日も)、体が持たず練習を休むことも出てきた。

ただそれでも僕はいつも“しんどいのは分かるが練習には顔を出してよ”、なんて言葉を毎回かけていた。もちろん彼の気持ちは痛いほど理解していたつもりだ。

もしかするとそれが負担になっていたのかもしれない。3回生の途中、彼は度重なる怪我と学連の仕事で、サッカー部の選手としての活動を辞めた。

そして彼は、大学サッカーが終わるまで学連という立場で、僕たちをサポートしてくれた。

サッカー選手として活動したかったに決まっている。僕たちはスポーツ推薦の選手ではなく、同じ一般での入部部員だ。

色んな想いがある中、それを僕たちのために最後まで働いてくれた彼には頭が上がらないし、本当に感謝している。

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そんな彼とは日本に帰ったら、いつも相手をしてくれるし、間違ったことをしたら指摘してくれる仲間だ。

いつもありがとう、とこの場を借りて伝えたい。

それではこの辺りで!VAMOS!!!!!

たくむ

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