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阪神淡路大震災から26年

忘れない、忘れてはいけない。
今、良く付き合っている20代の若者は、生まれる前か生まれていても生後間もない為に、当該大震災はほとんど記憶にないと思われます。
天変地異は風化してはいけません。
受け継がれていき、今後起こり得る天変地異は被害を最小限、いやゼロにしなくてはいけません。
だからあえて書きます。

note内、当時の動画もリンクするので、見れないという人は無理に見ないで下さいね。
見れる方、まずは見てください👇

自分が21歳の時です。
学生を卒業して、社会人1年生の時でした。
携帯電話がやっと普及され始めた頃でしたが、殆どの人は持っていなく、世はポケットベルが主流でした。当然wifiなどありません。

一報はニュースでした。
自分は父方が関西方面、特に祖母が姫路出身なので、あの阪神高速が倒れている映像を見たときは、正直"特撮のドラマ?"と思った位、現実を受け入れる事が出来ませんでした。

固定電話しかないから、とにかく連絡が取れない。
安否確認ってどのくらいかかったかってぐらい時間がかかりました。情報はテレビとラジオの地上波ぐらい。Yahoo!ニュースなどのネットニュースなんかないですからね。

どれだけライフラインがある世界が当たり前になっていたか?蛇口を捻れば水が出る。スイッチオンすれば電気がつく。数字を押せば遠方の人と話せる。。。
この時ぐらいから当たり前を感謝するようになりました。

だからこそ、関西方面に住む親戚が無事って分かった時は、崩れるぐらい泣いたのを覚えています。

犠牲者は6434人。
理由は書きませんが、正直もっといると思います。
この阪神淡路大震災以降、例えば耐震工事などの天変地異に対する対策の意識が高まり、その対策の具現化が現実的になったと思います。

そういった意識を根っこから変えて頂けたのも、当該大震災で犠牲なられた方々がいらっしゃったからです。本当に悔やまれます。

その方々の為にも"出来ること"をすることだと思うのです。いざというときの震災対応グッズを用意しておいたり、ライフラインが遮断されたときの衣食住の事前知識を植え付けておいたり。

そんな時はお金など必要ないのですから。

人に頼らず、まずは我が身ですよね。
それが犠牲者の方々への恩返しだと自分は考えます。

犠牲者の皆様、改めましてご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

追伸
気持ち切り替えて、明日は始めての"有料記事"を投稿させて頂きます。まだ早いと思っていましたが、投稿1ヶ月もしないのに、17個しか投稿していないのに、スキが100を越えました。有り難きです。その御礼も兼ねて"ある事"をお話しします。期待されると困るので笑、興味がありましたら買って下さい笑笑。

いつも有難うございます!

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