叫びたい夜を重ねて『一意専心』で人生と向き合う覚悟。
僕は自分が現状に甘んじているなと感じた時に、自分の胸を熱くさせた番組を見返して自分を焚きつけることがあります。
以前書かせていただいた「アナザースカイ SHOWROOM前田祐二さんの回」に並んで僕が観ているのが「あちこちオードリー 星野源さんの回」です。
星野源さん・オードリー若林さんのエッセイは全て読ませていただいて、勝手ながらすごく似ている部分が多いと思っています。
そんな中で、僕と大きく違うと感じる部分があります。
それは目指す場所にたどり着くまで足掻き続ける執念と集中力の大きさです。
多くの人はなりたい自分になるために理想を掲げてそこに向かいます。
その道すがら、違う幸せを見つけたり、理想と現実のギャップに疲れ切って諦めざるを得なくなるのかなと思います。
お二人は自分を貫き通す難しさを体感した上で圧倒的な執念と集中力で夢を掴んでいます。
僕は、自分を殺しながら安定して生きていくか、死ぬほどの覚悟で行動し続けるか、その選択の岐路にに立っている様に思います。
仕事の内容は思い描いていたものとは異なっているけれども、目の前の仕事は目一杯向き合ってみる。
そうすることで必死に居場所を作って社会の一部になろうとする。
しかし、それすらもままならず苦言を浴びせられるばかりの毎日。
家に帰ったら描いていた自分の姿とのギャップに悩まされる。
いても立ってもいられず、ラジオを聴きながら夜の街を練り歩く。
そんな環境でも3年過ごすと、こんなものかと慣れていく。
優しい先輩たちや同期に囲まれて暮らす安定した生活も居心地が良くなってくる。
もうこのままでいいのかな。
自分は主人公だ。
僕はこの気持ちを大切にしています。
高校受験に失敗した時は、「もしかして違うのかもしれない」と思うときもありました。
それでも行きたい大学に入学できて、素敵な人達に出会えたこの道を間違いと呼ぶにはあまりにも勿体なさすぎるのです。やはり主人公なのです。
自分を俯瞰で見て、「もっとこいつの人生を見てみたい」と思えたらそれはもう主人公でしかないのです。
その視点で考えた時、このままの生活を続けて「あの時の自分はポテンシャルはあった。」と語る頭の白い爺さんの人生を僕は見てられません。
行動するべきは今なのです。
そう思い、焦って「あちこちオードリー」を見返しました。
星野源さんも若林さんも今の輝かしい姿が印象的ですが、どちらもかなりの苦労人で世の中を恨むほどの苦い体験をしてきています。
それでも、自分を諦めないで考え、行動し続けた結果が今僕たちの目に映っているのです。
胸が熱くなります。
恐らく、この様な体験をしている人たちは数えきれないほどいます。
それでも僕が、その他大勢ではなく、お二人の言葉に背中を押される理由が「こんな経験はしない方がよい」と美談にしないため信用できるからです。
自己啓発や苦労話には、苦しかった「あの時」を美化していることが多い印象です。「苦しい経験もしたほうがいいのだ。」といった様な。
しかし、星野源さんと若林さんは「こんな経験はしないほうがいいんだから。」と警告をしてくれます。
「夢は死の淵を見る覚悟をしても叶うかどうかわからない。」
そう教えてくれています。
とても等身大で、だからこそ「動く覚悟」を問われている様に感じます。
「夢は必ず叶う。」という歌詞に背中を押されることもありますが、僕はよりリアルな人の熱に胸を打たれます。
そろそろ自分の身の程を理解しなくてはいけない年齢なのかな。
もうこのままでいいのかな。
そう自分に問いかけていましたが、やっぱり諦めたくありません。
僕は諦めません。
いつか本当の社会を知って、叩きのめされる時が来るのかもしれませんが、その時が来るまで。
自分で牙を折るようなことは絶対にしません。
自分の人生と真剣に向き合って、足掻いていきます。
p.s.
人生とか軽々しく使うのは好きではありませんが、使ってしまいました
。。。そして、座右の銘というのもあまり好きではありませんが「一意専心」を使ってしまいました。。。
時々自分で読み返して、カンフル剤の役割になって欲しい文章なので、後で読み返した自分が小馬鹿にしてしまうような軽い文章になってなければいいけれども。
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