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自虐的免疫の危うさ。

幼少の頃から 約7年の不登校でありました。

その間 父、母、祖母、姉に多大な心配かけました 。

不登校になり、そこでまず生まれたのが家族の亀裂、

不協和音でございます。

「なぜ学校に行かないのか」

「何が原因で何で学校行かないのか」

「病気なのか」

一番苦しかったのは母です。
父や祖母に責めたてられ、
母の精神状態はピークを越えていました。
午前中はパートに行き、午後になり急いで帰ってくる、そんな毎日が何年と続いたのですから。

そのような毎日を積み重ねていくと、
隣の部屋で話し声が聞こえます。
家族会議をしています。
聞こえるんです。私の内容が、、、

次第に心苦しくなってきます。

苦しい、劣等感をお腹いっぱいに満喫。

心がどんどん萎縮してしまい仕舞いには、

私は「生きていていいのか」

「自分はダメな人間」

「僕を何故産んだの?」

母も体力、精神が限界になり、台所から包丁を持ってきて
「ショウヘイ!一緒に死のう」
と限界までいきました。

「お母さん僕いい子になるからお願い落ち着いて」
母は我に返り泣きながら抱き締めてくれました。
「一番辛いのは貴方なのよね、ごめんね」

原因は一つでなく、私の生まれ持った繊細、感受性も起因していると思います。


この性格や認知の歪みを直すのには勿論1日 2日では到底無理な話であります。

何年何十年の治療で進行していきます。

小さい頃に、身についた心は、あがいても中々剥がれず、脱皮しようともがくけども、脱皮できない苦しさがあります。

殻を破る作業を自分なりにしてきましたが、、、、、

一時は殻が破れたと思っていた時期がありましたが、
若さ故の勢いであったと十年以上の歳月で知りました。
思い込みに過ぎない。

これが現実でした。

何の為に生まれ、どう生きていけばいいのだろうと自暴自棄になる事、数えきれず。

孤独感は皆それぞれ持っているものです。

私の孤独感は生死別れの恐怖そのものでした。

骨の随まで味わいました。
神様がいれば
もう許してください、ごめんなさい。
と願うばかり。

尋常じゃない孤独感で頭が錯乱し、
外に出て空気吸ってとりあえず無心に走ります。
もう「誰か助けて助けて」

しかし、これが私が望んで生まれてきた(生まれさせてもらった)人生の道な訳です。

苦しさから解放されたいが為に色々な書籍を読みました。その一方
これだけじゃ死ねない。

絶対プラスはある!「生きていればきっといいことある」

ただ言えるのは 「一生懸命生きてきた」この言葉一言に尽きます 。

それを誰が認めるか認められないか。
もちろん認められるわけがないけども、

一生懸命生きてきた事は、
「自分が死んだ後に評価される」と思っています。

祖母の心、父の心、母の心、姉の心も全ては、わからない現実の通り体で覆い被さっている。
ただ家族からの「愛」があったから生き抜いてこれた。
これだけは断言できます。

もし苦しい、死にたいと思っている方は

誰かに助けを求めてください!
大いに助けを求めてください!

「ハードな日」と「ソフトな日」。
今は「ハードな日」が続くとしても決してあきらめないでください。

あなたの代わりに、あなたの人生を担う事は誰一人いません。

私が今、人様に出来る事、
近くに公園があり、そこにいつも同じベンチに座っている、ホームレスの年配の方、
ローソンで冬は暖かいお茶350ミリリットル。夏はミネラルウォーター2Lを
「よろしければいかがですか?」と渡す自分。
この方は身内は疎遠かもしくは亡くなれているかもしれない。バブルが弾けて、借金地獄になったかもしれない。犯罪を犯したかもしれない。そんな勝手な想像だけれども。
お茶を渡し「よろしければ」
それぐらいしかできない。
将来私ももそうなるかもしれない。

どんな将来を迎えても

どんなに愛の純度が粗くとも
愛だけは決して忘れてはならないと思っています。


本日もお読みくださり誠にありがとうございました。

大変励みになります😢