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僕がお会いした、今のところ生涯ベストの知の巨人

山野博史先生です。

山野先生の話は、これまでもちゃくちょくしてまして、
僕を読書に沼らせた人です。

山野先生が授業で使っていた「読書案内」は今も大事に取っていて、たまに自分を奮い立たせるために見返したりしてます。最近はしてなかったな。

この記事でも、僕の人生を変えた授業の中身を少し書いてますが、それはほんの触りの部分。

いつか、まとまった形で先生のことを記事にしようと思いつつ、また僕の良くない癖で、踏まえたい情報の量が多すぎて書くのがめんどくさくなってしまい、こんにちに至りました。いけね。

まとまった形とかどうでもいいや。
書きながら、思いついたものを並べていってみます。

僕に取っての生涯ベストの知の巨人とはどういう人か、というのが浮かび上がるのではないかと思って。

今、本棚の奥から当時の授業ノートを引っ張ってきました。

パラパラめくりながら当時の記憶をたどりつつ、
面白そうなところだけ書いていきますね。

「日本の政治」4月12日。
最初の授業だ。

日本の政治は、人間学の宝庫です。
三千年くらい、教育をまともに受けてない人が日本を支えてきたのです。

法学部の人間は、もっぱら、近代以降のことを重視しがちです。
近代以前は人間ってそんなにアホやったんですか?
とも言ってましたね。

・・・そうか。
この授業を受けたのは3年生のとき。
なぜもっと早くこの授業に出会わなかったのか後悔したんだ。

法学部に入学してからの2年間は、まあ、単位を取るためだけと言っても過言ではないほど、最小限の労力で勉強していたわけで、なんのための大学かって怒られてもしゃあないくらいに、まあ、ぼけぼけだったわけです。

3年生になって第一週、このフレーズを聞いて、なんか言いようもない、学問の入り口に誘惑的に立たされたような、不思議な感覚があったのを覚えてます。
近代以前。そっか。3000年も。そっか。
そんなスケールで政治学に接したことなかった。と。

そこから始まるマシンガントークは、脳みそを掻き回されるような、怒涛の、きらめきと、情報量と、知性と、人間と学問への愛と、優しさと、感染力とで組み上がっていて、圧倒された。

「私の話はすぐ横道に入ると思われますが、すべて本筋に繋がってます。脇道、それ道、裏道、いろんな話しますが、全ては一つ。物語のように繋がってますので、聞き逃さないようにしてくださいね。」
とよく仰ってました。

さてページをめくります。

「教養って、人の気持ちを理解するってことですよ。」

難しいこと、複雑な論理でいろいろやるかもしれませんけど、
結局教養って、人の気持ちをどれだけ思えるか、ってことです。と。

その下にはこう、板書してます。

トーマス・マン(1875〜1955)ドイツ作家
「政治を軽蔑する人間は軽蔑に値する政治しか持つことができない」

うわあ。含蓄ありすぎてやばい。
この言葉に矢印引いて、大事!と添えてる。

その下、
抽象↔️具体
と書いてある。
はっきり覚えてますこれ。よく仰ってた。

「学問ってね、具体と抽象を行き来することですよ」
山野先生の授業は、具体的なお話がほとんどで、途中ちょろっと、概念的な話を挟むのです。

政治学!と聞くと、どんなイメージですか?
お堅い、論理的で、理屈っぽくて、みたいな感じがします。

そのイメージがどんどん崩れていきました。
授業は、たった一人の人間、たった一つの事件に焦点を当てて、
これでもかってくらいに具体的に展開されてます。

この「日本の政治」は陸奥宗光を取り上げてます。
日清戦争時の外務大臣。
秋学期は日露戦争時の外務大臣、小村寿太郎。
先生は、毎回授業の内容をまるまる違うものにするんです。
二度と同じ授業をしない。
お年は定年間近のころだったと思う。
大学で授業を受け持つようになってから、定年までの授業の回数を計算して、縄文時代から現代まで、時代を上るようにテーマを割り振ってやってきたのこと。すげえ。なんじゃそれ。そんな先生みたことない。

初回の縄文時代で90分×15回も授業するって、やばい。
それで日本の政治を浮かび上がらせるわけだから、どんな宇宙なの。

「自分のためにやってるんです」
と言ってましたね。
その関連で、
「教えるっていうのは、教えられるということなんです」
とも。
さらにヒートアップしたときは、
「教える人間が、自分が教えてあげてるのだという態度を取ってたら、もうその人軽蔑していいですよ。これから君たちは就職して上司に教えられるでしょうけど、その上司がそんな態度取ってたら、どうぞ軽蔑してください。教えられることでもある、というのがわかってない人は、ペケです」

と、毒舌混じりになることもあった。
先生が軽蔑、なんて言葉を使うのは滅多になくて、強く記憶に残ってる言葉です。
僕が上司とうまくいった試しがないのはこの言葉のせい? おかげ? かもしれません。でもいいや。面白くなかったし。

さて、ページをめくっていきます。

「なぜ一国で生まれた資本主義が、世界に広まったのか。考えたことありますか?」
この下の板書は、だめだ、判別できない。
とびとびにキーワードだけ書いていて、
「英の二大発明は、国債」
銀行、保険、金貸し・・と。
板書が追いつかなかったんだこの時期。
でもこの言葉は、はっきり答えがあるものというより、考え続けることに意味がある、という類のフレーズだったんだと思う。
そういう問いもばんばん挟み込んでくるんですよね。

「他の授業で実定法学を勉強してるでしょうけど、全ての元はこれでっせ。資本主義を回すために、近代法はあるのです」

明治期に大急ぎで法整備をした日本ももちろんその流れの一部。こんな具合に日本の政治に繋がってくる。

ページを進めます。

「レボリューション。革命。語源はラテン語の「revolutio」です。銃のリボルバーも同じ語源でっせ。回転、もう一度、戻る。革命ってね、何か新しいことを始めるんではないんですよ。元に戻ろうとするってことなんです。ここ、勘違いしたらあきませんで。」

折りに触れて何度も仰ってたことです。
明治維新の話をこれからしますが、ここ、外さないでください、と。
西洋に追いつけ追い越せで新しい国を作ろうと躍起になったわけですが、結局は元に戻るという意思が根底にあったわけです。

「日本の江戸時代は世界史のミラクルでっせ。300年もの間、大きな戦争もせず平和に暮らしていた時代は、どこにさがしてもありません。この意味、考えてくださいね」

これもよく仰ってたなあ。思い出しました。
いまだに答えは出ていません。

話は変わって、こんなことも書いてました。

「”格差”というのはマスコミが作った言葉で、聞こえよくしすぎですね。
”貧困”でしょう。しんどくなってくると曖昧な言葉を使い出すマスメディアの常套です。ハローワーク、モラルハザード、モンスターペアレント。横文字にするのもそうです。」

これに関して、
「マスメディア、という言葉は、たぶらかすもの、って意味ですよ」
だから、奴隷になったらあきませんで。とも。何度も仰ってました。

こういうお話も後の本論に効いてきて、戦時中のマスメディアの動きとか、政治学としては急けられない大事な要素として触れられるわけです。

疲れてきたのでこのへんで区切りますね。

この後の板書は、大事なキーワードだけをとびとびに取っていて、ご紹介するのに骨が折れそうというか、ヘビーだ。

僕の書きとる力が未熟だったなあと。
ここからメキメキ成長していくんです。

どんな横道話も本論に関わってきていて、面白い、興味深いと、じわじわ思い始めていって、一言一句書き漏らすか!みたいな勢いでノートを取っていってたなあ。若い。マシンガントークについていくのに必死でした。

なんか当時の熱量が今、蘇ってきてる気がしてます。

今回ご紹介したのは、ノートの12ページくらいまでのことです。どうですかねこの情報量。面白いですか? 続けていいですか?

また書きたくなったら書くことにします。

最後に、赤線引いてる箇所があったので書いときます。

「政治ってね、おぞましいものを受け入れる覚悟がいるんです」

政治学にハマったきっかけのような言葉かも。

お読みいただいてありがとうございました。


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