見出し画像

「将来やりたいことは?将来の夢は?」という問いにもやもやすること

旅を続けていて、今は長野市にいます。

写真は信州大学佐倉研究室のすけろくガーデンにあるピザ窯。





旅は学びの宝庫で、日々感じることが本当に豊かで、経験・体験したことにメモが間に合いません、、笑
最近は振り返りの時間やゆっくりと考えたり、自分の内面と向き合う時間が取れていないので自分の時間もちゃんとつくってあげる。

休むことも相変わらずへたくそで、無理が出来てしまう自分だからこそ休む時間も計画的に作ります。何事もバランスが大事だね。


旅を通じて、感じ考えたこと。言葉にして届けたい伝えたいことがたくさんあります。楽しみにしていてください!!

書きたいことが溜まっていて、けれど整理したり文章に落とし込む時間がなかなか取れていなくて水の流れが滞っています。noteも貯めすぎると僕の場合記事にして投稿することが出来ない。そのため今回は短めに最近感じるもやもやを書いてみようと思います。

れっつごー




「将来やりたいことは?将来の夢は?」


主に自分より年齢が上の方に「将来やりたいことは?将来の夢は?」と聞いていただくことが度々あります。そのたびに何かが引っかかっていて、もやもやしていて。そのもやもやをゆっくりとひも解いてみようと思います。


まず僕がもやもやすることを問いにしてみると、なぜ今やっていることややりたいことを聞かずに”将来”やりたいことを聞くのか?という問いです。

「将来やりたいことは?」という問いの前提にもしかしたら今はやりたいことをやっていないということと、”今”という時間が”将来”のために存在している時間である、という前提が隠れているのかもしれません。

僕は”将来”というのは”今”の積み重ねによって生み出されると捉えています。そう捉えたときに”将来”というものは”今”を見ないと見つめることが出来ません。積み重ねの上に未来があるのであって、今と将来のあいだにも無限の連続があります。そこをすっとばして「将来やりたいことは?」と問いをもらったとしても、うまく話すことが出来ません。



(書きたくなったので追記します。)

「将来の夢は?」「大人になったら何になりたい?何をしたい?」といった類(たぐい)の問いは多くの場合大人(とされている人)から子供(とされている人)にすると思います。

この問いの前提にあるものとして、人はみんな大人になることが出来る(成人する年齢に達するまで生きることが出来る)という考えと、やりたいことや夢、なりたいものは"大人"になってからやるもの、叶えるものという考えがある気がします。


そうであるとした時、"子供"の時間、仮に「子供時代」というものがあるとしたらその時間は"大人"になってやりたいことや夢を叶えるためのものに変換されます。

すべての時間を生ききりたい、心と身体を動かし、ずっとときめいていたい僕としてはなんだか悲しい気持ちです。(まだ上手く言葉にすることが出来ない。。)

大人も子供も関係なしにその時その時心が「やりたい!」と揺れ動いた時は、自分の感じた気持ちを尊重してその瞬間にやりたいことを叶えてほしいと願っています。その方がぜったいに豊かだと思う。

大人と子供という存在を分けて考える時に僕は子供に子供の時間、その時にしかない"今"を捕まえて熱中し、生ききってほしい。そう強く願っています。ぜったいに子供の時間は大人になるための時間だけではない。これは大人(とされている人)に関しても同じ想いです。

前に少し読んだことがあるセネカの「生の短さについて」を読みたくなりました。




そもそも一か月後、半年後、一年後自分がどこで何をしているのかなんて全く予想することが出来ません。将来のことなんかわかりっこない。笑

もちろん成行きの未来、おおまかな予想は立てることが出来るけれど、本当のほんとうに未来のその時点で自分が何をしているのかは”今”という時点においては不確定であいまいなものです。


繰り返しになるけれど、僕にとって将来や未来は”今”の積み重ねであり、将来や未来のことは過去と今を見つめることによってはじめて想像することが出来るもの。少なくとも僕は今やりたいことをやっていて、それは望む未来があるから、「こうなったらいいな」という想いがあるからやっています。このままじゃまずいでしょ、という現実や課題があるからみんなで苦労しながら楽しい未来を創っていきたいと思っています。


と書きながら、今思いついたけれど「望む未来はありますか?どんな未来を想像していますか?」という問いだったら答えたいかもしれない。



「将来やりたいことは?」という質問はなんだか”今”というかけがえのない時間を未来のための道具にしているような印象も受けます。今に熱中し没頭すること。その時その場で起きることに応答していくこと。無我夢中。無心。そんな在り方に憧れて、目指したくて僕は旅に出ているのかもしれません。大切なものを、心震える瞬間を見逃さないように。


といろいろ書きつつ、以前の僕は”超”が付くほどの目的志向、未来志向人間でした。笑

そんな僕がたくさんの出会いや経験によって今という時間を大切に味わうようになった。まだまだ練習中だけれど、今を未来のための消費や我慢、道具にしないようにいつまでも今という現実を追いかけていきます。


これを書いている今思いがけないことが起こりました。笑
これだから面白い。


これからも思い通りにならない自分と他者と社会と世界とそれでも手を取り合いながら少しずつゆっくりゆっくり歩んでいこうと思います。もやもやを言葉にできてちょっとだけすっきり。


無理をしすぎないように!無理をした後はゆっくり休んで。何よりも自分に向けて。明日からも怒涛の日々が続きますが深呼吸と伸び、そして感謝を忘れずに生きていきます。読んでくれてありがとう。またね!!




ひとと自然、ひとと文化、ひとと社会、ひとと人を結びなおす、つなぎなおす、ゆるめる、ほどく、豊かな幸せな関係をみんなで創っていく事業に使わせていただきます!