書くことは癒すこと、呼吸すること
書きたいことが溜まっている。
ということは、あまり循環がうまくいっていなく、流れが良くないということだ。僕にとって、こうして文章や言葉を書くことは呼吸と同じ。空気を吸ってばかりで、吐けていなくて苦しい。やっと吐ける~~
ノートにメモもたくさん書くし、思いついたことや考えたことも流れるまま書いている。
けれど、そうしてノートや自分の頭に溜まっていくものを自分だけでとどめることは僕にはできなくて、きっと誰かと共有したいんだと思う。
分かち合う喜び。
この文章もあまり考えることなく、流しながら書いている。淀みがなくて心地よい。書くことは癒すこと、って誰かが言ってたな。
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最近の僕は怒っている、イライラしている。それが何に対してなのか分からない。けれど、身体の内側に怒りのエネルギーを感じる。
社会に対してかもしれないし、目の前の誰かに対してかもしれないし、目に見えない何かに対してかもしれない。
僕はめったに怒らない。正確に言うと、怒れない。詳しくは割愛するけれど、それは諦めだったり、嫌われる恐怖だったり、傷つけること傷つくことへの恐れだったりする。他にもいくつか理由ある気がする。
けれど、最近は怒りを原動力にして動くことが多かった。憤り、違和感、もやもや。むかつくこと。いらいらすること。
これまでだったら、怒りの感情を感じたときに見て見ぬふりをして抑圧していた。けれど、怒りの感情も使ってもいいかも、と思うようになった。
すべての感情は大切なことを伝えてくれている、と思っているから。
怒りを抑圧せず、表現して、僕の命に伝えてくれるメッセージを受け取る。
分かってもらえなくて悲しかった、
上から目線で言われてむかついた、
決めつけられてむかついた、
離れたい人から離れる、逃げたい人から逃げる。余裕のない時は嫌な人から逃げる。エスケープ!!自分のことを守る。大切にする。
これだけたくさん人がいると、僕のことを、君のことを嫌いな人もいて。嫌なことをしたり、言ってくる人もいる。組織やコミュニティも一緒。
逃げちゃだめだ、って言われることも多いけれど、まじでどうしようもなくしんどくなったら逃げてもいいんだよね。逃げちゃだめだ!って呪縛があった時より、今は逃げてもいいんだってすこし思えているから前よりちょびっと生きやすい。
と言いつつ本当に余裕ない時は逃げることも怖くて難しいんだけどね。。
しんどかった時にいただいて救われたメッセージを乗せます~
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丁寧に丁寧に自分の声を聴いてあげる。等身大の自分を抱きしめる。
自分が大切にしたいことを、大切な人を守るために、強くなりたい。はじめてそう思うようになった。大切にしたいものができたからかな。
肩書きとか、権威とか、権力とか、立場とか、経歴とか、年齢とか、そういうものに負けずに、大事な場面で怒りを表現できる人になりたい。自分の中の忖度に負けるな、おれ。相手に負けるな。
そんで、怒りのエネルギーは僕の場合そんなに長くは続かない。ゆうすけ先生もそう言っている。怒りも大切だけど、ポップさも大切にしたいよね。
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今僕は何を大切にして生きていきたいのか、自分にとっての北極星ってなんなのか。見失っています。彷徨っています。
目的、価値、意味、成長・・・みたいなことを大事に生きてきたから、そこから外れたい、捉われから解放されたい、と思ってもなかなか難しい。
うっかりする過程で”しっかり”を求められる。
”弱さ”を模索し、弱く在れる場をつくる過程で”強さ”を求められる。
”目的”や資本主義から外れた場をつくる過程で理由やお金を求められる。
今叶えたいことを叶えようとするほどに、能力やお金が必要だったりする。この矛盾がすごい苦しいです。
けどね、大丈夫。頼れる仲間がいる。応援してくれる人がいる。
時間をかけてゆっくり、じっくり。
はやさや効率が求められる社会で時間や手間をかけること、根を張ることを焦らない。タイパやコスパに負けない。
簡単に手に入るものは、失いやすい。時間をかけて、がんばってつくったもの、手に入るものは無くなりにくい。人との関係もそう。
二年前の僕は温かくて優しい人になりたかったみたい。
一年前の日記には
〇こどもと関わること
〇人を癒すこと
〇自然と仲良くなること
〇弱さと存在を大切にすること
ってメモ書きがある。
こんな日記もみつけた。
すこしは近づけているかな。そうだといいな。
また書きます。
ひとと自然、ひとと文化、ひとと社会、ひとと人を結びなおす、つなぎなおす、ゆるめる、ほどく、豊かな幸せな関係をみんなで創っていく事業に使わせていただきます!