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闇気を経て成長したこと

どうもTakumaです。

僕は、3歳から水泳を始め、サッカー、野球、ラグビー、ボート競技と様々なスポーツを経験しました。

今は、マラソン、山登り、ボート競技(お遊び程度)の三刀流でスポーツを楽しんでいます。

様々なスポーツを経験し、遠征し、友達もたくさんでき、スポーツは魅力ばかりだと思います。

初のフルマラソン@琵琶湖 3時間38分

しかしそんな僕にもスポーツをしてきた上で唯一、後悔した苦い経験があります。

2年以上経った今でもあの”痛み”は鮮明に覚えていて、あの記憶を思い出す度に情けなく感じる自分がいます。

大学からボート競技に打ち込み、先輩方はとても優しく、寮という集団生活でも何一つ苦のない生活を過ごしました。(うん、そういうことにしておこ笑)

入部当初の目標は
全国大会出場!なんなら、日本一になりたい!

初心者がそんな無謀な目標を掲げ、練習に取り組みました。

朝は4時30分起き。
ウィダーゼリーで10秒チャージし、練習はとてもハードで18~20km漕ぎ、シャワーを浴びて、マネージャーが作ってくれた最強朝ご飯を食べ、原付かっ飛ばして学校に向かう生活を送っていました。(この時点でお昼の感覚)

授業中は起きているか寝ているかわからない意識朦朧状態。(先生すみません笑)

もちろん門限あり。

友達とは夜ご飯くらいしか楽しみがなく特に平日は大学生という大学生をしませんでしたね。。笑

それほど、友達との時間を犠牲にして本気で部活に打ち込んだからこそ、苦だった練習も苦に感じず、やんわりしていた入部当初の目標が本気に変わった瞬間がありました。

ボート競技を始めて1年。
出場した関西選手権では3位。
その後、全国大会にも出場し、準決勝までコマを進めることができました。

2回生の夏

しかしこの2回生の段階で、足の痛みがあったり、腰痛があったり、背中も変な違和感があったり、、、

今まで一度も怪我をしたことがなかった僕は妙な不信感を抱いていました。

「あと2年も身体が保つんかな」

やがて、足の痛みも増し、1ヶ月程度の完全休暇を貰いました。
その間は、ガンガン練習を続ける同期。

気分も身体も最悪に。復帰後の記録会も思うようなタイムが出ず、目標を掲げる自体もうやめようと。

コロナ時期を迎え、ろくに練習もできず、大会はほとんど中止。
3回生時の全国大会も全然ダメでしたね。。。

「残り1年、本気でやってみるか」


新チームが始まり、途中から副キャプテンに。

シーズン前の記録会で自己ベストを出し、目標を掲げることをやめていた僕は、やっぱり日本一になりたいと再度思い始めました。
僕なりに嫌いだった筋トレもメニューもプラスαで取り組みました。

「ラストイヤー、最高の一年にしてやる!!」





そう思ったのも束の間。次は、腰椎分離症に。

階段の上り下がりも一苦労。
激痛で寝れない。練習どころではない。
医師や整体師からもやめた方がいい、と。

川辺で何度泣いたことか。消えて去りたかった。
自分には1mmも価値なんてないと。
日本一?そんなのどうでもいい、どうにでもなれ。


振り返れば、人生最大の闇気だった3回生の冬。


この経験や失敗があったから、今の自分がある。

当時はやると決めたら、猪突猛進状態。
周りは何も見えず、一度も立ち止まらない。

しかし、そんな苦い経験があったからこそ、今の自分は、物事を進める上で、どこか限界が来そう、間違った方向に進んではないかと感じた際は、一度立ち止まり冷静になろうと心がけるようになった。

今では一度冷静になることで、仕事や人間関係がうまく行く事が多い。

お客さんとは時差があったり、商品の配送に時間がかかったり、より仕事のスピード感や正確さなど、様々なスキルが求められる。
(当たり前のこと。仕事は何でも求められる。)

当時の怪我がなければ、今の自分も近藤猪突猛進拓真だったかもしれない。
(わー、絶対滑ってるわ、やんな?笑)

当時、身体のケアをしてくださった整体師の皆様、仲間がいたから、今こうして生きている。

そんなこんなでボート競技を続けて、目標には到底届かなかったけれど、最後も全国大会に出場でき、素敵な思い出となりました。

後輩くんと挑んだ最後の大会。元気かな

それでは次のnoteで
ありがとう

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