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【映画/感想】『市子』#3

お疲れ様です。
見ていただきありがとうございます。

12月って傑作邦画が公開される確率高い気がする。

今年も例に洩れず出逢う事が出来ました。

2022年は『そばかす』に、そして今年は本作に出逢う事が出来ました。

以下ネタバレ含みます。
鑑賞前に見たくない方はお気を付けください。
では、どの辺りが刺さったのかを書いていこうと思います。



【余白】

圧倒的に”余白”の使い方が見事な作品でした。

市子の痕跡だけを示して、姿は見せない。
「ここに彼女がいたのかも」と疑わせる事で市子への疑心感を煽る作りがお見事でした。さらに、映画の時系列をバラバラにし、敢えてわかりにくくしている。徹底的に市子を捉えさせない構造がとにかくズルいと感じました。アメーバのように形を変えながら生きている市子に翻弄される2時間でした。

何気ないシーンが後半で線になっていくのもお見事でした。
なぜ結婚指輪でなく婚姻届けなのか。なぜ病院に行こうとしないのか。
なぜ市子のはずなのに月子と周りから呼ばれているのか。

特に婚姻届の使い方が絶妙でした。多くの人にとって婚姻届は幸せの象徴なであるのに、市子にとっては世界との断絶を示すものである。序盤はその事が伏せられ嬉し泣きしている様に見せているが、映画を観ていくと市子はこの紙切れで幸せになれない事を悟ったのだとわかる。幸せを感じての涙ではなく、別れを悟っていたのだと思うとやるせなくなる。長谷川との繋がりが強固になる事は彼を不幸せにしてしまうかもしれない。そう考えて失踪したのだとすると彼女なりの優しさだったようにも感じられます。

【ケーキ】

ケーキは市子にとっては夢がつまった大切なもの。幼少期は家庭の事情もあり中々あり付けないものだった。大人になった市子にとってはキキとの友情の印になった。一緒にお店を持つという夢を見せてくれるものでもあった。

【家】

家の見せ方に鑑賞中、違和感を覚えていたのですが、これも意図的なのではないかなと思っています。気になったポイントは以下の3点です。

①市子の実家

さつきを自宅に招いた際、おまるの様な物が映る。この時点では観客も真相を知らないので何故映されたのかがわからない。カーテンで仕切られた謎の空間があったり、家族が他人を家に上げる事を妙に嫌っていたり、とにかく不穏な空気感が漂う。市子への疑心感を一気に煽る事に成功しているように感じた。

②長谷川と暮らす家

ご飯を食べる際、座布団を半分に折って座る姿を映すが、これは別に要らないシーンなのでは?と感じていた。しかし、それが後々市子の存在証明となる。

③北の家

刑事と長谷川が出向いた際、すりガラス越しに玄関先を除くように映すシーンがある。これも本来ならなくても良いようなシーンだが、明らかに主観視点なのでもしかして市子なのではと思わせられる。しかし、部屋に入っても市子はいない。ベランダの扉は開いている。

また、北の家では水槽越しに玄関が映るシーンがある。
観客の多くはシルエットから市子だと感じるが、一旦視界が遮られた後明確に映ると全く別の人物が登場する。ここからもうひと展開作る事で映画として飽きさせないように作られているのがお見事だなと感じた。

【市子】

(C)2023 映画「市子」製作委員会

行動原理は1つだと思っています。その原理は「市子として生きるため」ということです。

長谷川からプロポーズをされるシーンが作中2回映し出されます。
冒頭では多幸感に包まれたシーンだったのにも関わらず、市子の人生を見た後だと絶望して泣いているように見えました。プロポーズされたことに幸せを感じると同時に長谷川と一緒になる事は出来ない事実に涙しているようにでした。

悪いことをしたわけではないのに、戸籍がなくなり、妹の介護で身心ともにボロボロになり、大人になっても社会的に生きることができない。もし自分の背景が知られなければ友達ができて、恋人にも必要とされる。

市子を殺し、市子として生きていく。
そんな不思議な映画でした。

【最後に】

ラストは鼻歌を歌いながら歩いている市子が映されます。
あの彼女はどの市子なのか。
長谷川と幸せだった時の市子なのか。
新たに生まれ変わった市子なのか。

どんな事があっても生きていく決意を感じる映画でした。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
ゆるーく更新していきますので今後ともよろしくお願いいたします。

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