リアリティって、なんだ?
「リアリティがあるように書け」
よく言われることですが、リアリティとは具体的になんなんでしょう。
そして、どのように演出すべきものなんでしょう。
物語はフィクションです。すべてが嘘です。
嘘の世界でも「そういうことありそうだよね」と感じてもらうために必要なのが、リアリティだと僕は考えています。
ではリアリティを出すためには何が必要なのか。
それは、「納得感のある設定」と「細部の描写」ではないでしょうか。
本題
「リアリティを出す=徹底的に現実に寄せる」ではありません。
これはよくある勘違いであるように感じます。
たとえば『ドラえもん』に代表されるような、日常と地続きになった非日常作品を書くとします。
「リアリティを出す=徹底的に現実に寄せる」という解釈のまますべてを描こうとすると、どうなるでしょう。
現実に寄せるということは、いま僕たちが生きている世界の法則に従うということです。
ということは、『ドラえもん』のひみつ道具に当たるものをひとつ出す度に、小難しい物理学の理論を説明する必要が出てきてしまいます。
実際、『ドラえもん』でそうした説明は出てきません。
でもどうしてか、「そういう道具ありそうだよね」と読者は納得してしまいます。
なぜかというと、設定で納得させているからです。
未来の世界から来たロボットなら、そういう道具を持っていてもおかしくなさそうだよね、と。
描写というフィールドで徹底的にリアルさを追求する必要はないと、僕は考えています。
繰り返しですが、物語は基本的にすべてが嘘です。
そして受け手がその事実を認識してしまうと、途端に彼らの目は非現実から現実へと逸れてしまいます。
「ああ、これって結局は作り話だよね」という具合に。
そうさせないためにまず必要なのが、納得感のある設定。
ここがしっかりしていれば、非日常的な物語も受け入れてもらいやすくなるのではないでしょうか。
しかしおそらく、これだけでは不十分です。
『ドラえもん』にはきちんとリアリティがあるように感じられます。
非日常的な話なのに、すんなりと親しみを持てるのはなぜでしょう。
それは、「日常」の部分でリアルを描いているからです。
のび太がテストで悪い点を取り、それを隠そうとする。
しかし結局、その事実は明るみに出て、しこたま説教を喰らう。
このような流れ、『ドラえもん』ではよくありますよね。
そして現実でも、よくある光景であるように感じないでしょうか。
(あなたが優等生だったならこんな経験はなかったかもしれませんが、想像には難くないでしょう)
こういった「日常」の部分をリアルに描くことが「リアリティを出す」ということだと考えられます。
結局「非日常」は「日常に非ず」なので、そこをリアルに描こうとしても限界があります。
リアルに描く、つまり、ひみつ道具のメカニズムを現実の物理法則に則して説明することは、むしろ野暮に感じますよね。(マニア向けの作品であればそれも正義になりますが…)
創作の世界ではよく「細部にこそ神は宿る」という言葉を耳にします。
『ドラえもん』を例に取るならば、一見、物語の主軸ではない「日常」という土台を大切に描くことで「非日常」が活きるという仕組みになっている、ということのように思います。
まとめ
物語に没入してもらうためには、リアリティが必要です。
必要なのは、「納得感のある設定」と「日常部分の繊細な描写」だと、僕は考えています。
今回は『ドラえもん』を例に挙げましたが、ノンフィクションに近い青春作品や恋愛作品でも、大事なところは同じです。
以上です。
※今回のお話は、商業作家である辻村深月先生がトークショーで話されていた内容をベースにしています。
綾部卓悦の情報
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