星の時間は訪れる『熊楠の星の時間』中沢新一
そのタイトルに惹かれて、あまり南方熊楠のことを知らずに本書を手に取ったのであるが、気になったこの「星の時間」という言葉についてこう書かれている。
「星の時間(sternstunden)について作家のシュテファン・ツヴァイクがこう書いている(ちなみにこの語を造語したのもツヴァイクである)。
時間を超えてつづく決定が、或る一定の日付の中に、或るひとときの中に、しばしばただ一分間の中に圧縮されるそんな劇的な緊密の時間、運命を孕むそんな時間は、個人の一生の中でも歴史の経路の中でも稀にしかない。こんな星の時間ー私がそう名づけるのは、そんな時間は星のように光を放ってそして不易に、無常変転の闇の上に照るからである。(シュテファン・ツヴァイク『人類の星の時間』片山敏彦訳、みすず書房)
(『熊楠の星の時間』中沢新一)
中沢氏は、南方熊楠にそんな星の時間が訪れたという。南方熊楠という人物がどういう人物だったか、というのは、本書や彼に関する多数の著書を読んでいただければと思うが、民俗学の父と呼ばれ同時代を生きた柳田國男から「日本人の可能性の極限」と称された。一言で言ってしまえば大天才なのであるが、生物学、粘菌学者、チベットまで行って仏教を学び・・・、現代とのつながりで言えば、エコロジー(生態学)というのを早くから日本に導入したという点が今は注目されているかもしれないが、その全体性というか、西洋のロゴスを超えようとする大きな思想が個人的には非常に興味深い。
西洋で主流であったロゴス。でもそれだけでは語りえない世界を我々は感じている。特に東洋ではそうであった。きっとこれまでも多くの人たちが、西洋のそれを超えようと考えたであろうが、そうすることはできなかった。しかし、あるとき日本にそれを超えるための発想が生まれる。それが熊楠に訪れた星の時間であったのではないだろうか。熊楠が亡くなったのは1941年。まだ100年も経っていない。しかし、その思想は受け継がれ、着実に進化し続けているのではないだろうか。中沢氏の色々な学問を横断する幅広い知識に驚いて、この人は一体何者かというのでその著書を読み始めているのであるが、中沢氏の原点がここにあったのだ、と思うと熊楠という人物をあまり知らないはずなのに、なぜだか納得してしまう。きっとそれくらい偉大な人物なのだろう。
きっと中沢氏の星の時間に、南方熊楠という星が輝いたのではないだろうか。中沢氏の著書は多数あるので、すぐに読み切ることはできないが、少しずつでも読み進めてみたいと思う。自分にも星の時間が訪れることを信じて。
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