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自伝のような小説で。小説のような自伝。

自伝のような小説で。小説のような自伝。小説家の自伝だからか、それとも、彼女の人生自体がもう小説なのか、わからなくなるような物語たち。

吉本ばななさんの『私と街たち(ほぼ自伝)』を読んで、ばななさんワールド全開で、なんだかもう現実の世界なのか、小説の世界なのか、わからなくなるようなそんな本だった。

ばななさんのエッセイは好きで読むんだけど、でも、もうそこで起きていることは本当にリアル? と思うことがたくさんあって、こんなにすごい(どちらかというと壮絶)人生を送っていたら、リアルがフィクションみたいで、もう小説の世界にいるように感じられる。

その人には、その人の人生があるから、それを羨ましいと思っても体験はできないし、羨ましいと思うこと自体何かが違っている、ズレているのではないか、と思うけれども、でも、これだけ壮絶な人生を送っている人をみると、なんだか、今の自分でよかった、と思える反面、平凡な人生だよな、と思ってしまう。でも、それもきっと誰かと比べてしまうからだろう。それに、本当はきっと平らで、凡の方が人は生きやすいのではないかと思う。

山あり谷ありの人生はやっぱりしんどいもので、僕の人生はわりとジェットコースタータイプだったけれども、今は少し落ち着いていて、でも、またきっと山あり谷ありなんだと思うけど、でも、そんな激しい人生を送らなくても、人生を楽しむことができると、最近ようやくわかってきたような気がする笑。

森の執筆家の四角大輔さんが人生を「バックパッキング登山」と表現しているけど、そういう生き方もあるのだと思うし、そういう方が、長くゆっくりと人生を楽しめるのではないか、と思うのだ。

でも、そういう人生にしたくても、できない人もいる。きっと今回の人生は、登っては降りて、降りては登ってを繰り返すということを体験するために生まれた人もいるのではないか、と思う。だから、ずっと楽しい人生を目指しながら、なかなか上手くいかない人もいるのではないか、と思う。

人生で色々な体験をすることで、作家であれば、色々なものを書いたり、アーティストであれば、それを自分の表現方法で表現する。体験というのは非常に大切なもので、それが創造の源泉となっている人も多いのではないだろうか。でも、その人は体験を通さなければ、表現できない。つまりは体験が先にあるのだ。体験することが大切になってしまう。

でも、体験にはリスクが伴う。いつもいつも良い体験というわけにはいかない。もちろん、悪い体験と感じたものから、何かを表現する人もいる。人生のどん底を経験したからこそ、表現できるものもある。でも、それは辛いし、誰もがそれを体験できるわけではないし、それを乗り越えられるわけでもない。

そういった時に、平々凡々の僕たちは何を表現するべきか? と思った時に、ありのままの日常で良いのではないか、と思う。誰と比べることもなく、まずは自分の体験、自分の暮らしを表現していくこと。それでいいのではないかな、と思う。

きっと小説のような人生や、人生のような小説は、その中にあるんじゃないか、と思うのだ。

全然、本の中身の話にはなっていないのだけれども、でも、ばななさんのエッセイや小説を読んでいると、人生って色々あるけれども、美しいいんだな、どっかに輝き、救いがあるんだな、ってことを思い出させてくれる。

自分だったら、もしかしたら耐えられないかもしれないようなめちゃくちゃな人生の中でも、光があることを教えてくれる。話はホラーでも、心は優しく、温かくなる、そんな本。

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