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1日にどれだけ自分にダメと言っているか

Feeling(今日の一言)

先日、畑に植えたブルーベリーが、さっそく萎れてきている。今年は雨が少ないせいか、いつも水が貯まって水路になっている部分にほとんど水がない。水不足のせいだろうか。それとも、土が合わないのだろうか。きっとその両方だろう。

でも、彼(そのブルーベリー)が生きていくためには、なんとかその土地の環境に合わせられるようになるしかない。植物は動けないのだから。ひどいしうちと思われるかもしれないけど、でも、添加物まみれの食事のような肥料を与え、しかも、それを死ぬまで永遠に与え続けて、太らせ続けなければならないような生き方をさせるよりも、できれば、自分の力で、地面からちゃんと栄養を吸収して、その土地の力で生きて欲しいなと思うのである。

だから、無理にたくさん実を実らせて欲しいとは思わないし、まずは環境になれて、実をつけるのは、来年でも、再来年でもいいので、無事に1年を過ごして欲しいな、と思うのである。もちろん、これは僕の勝手な考え方で、彼にはまったく罪はないのである。でも、毎年肥料を与え、毎年剪定をして、人間の都合のよい形に育てることよりも、自然に育って欲しいなと思うのである。

そんな感じで畑をやっているので、うまくいかないことがたくさんある。何かを足すのではなく、その中でいかに循環を生み出すことができるか。降ってくる雨だけで水を吸い上げられるように。生えてくる草だけで、いろいろな生命が訪れる畑になるように、なんとか、いまの環境を活かしながら、循環をつくることはできないのか、なんてことを考えている。

大豆はその年により収穫量は違うけど、毎年取れており、味噌をつくったり、納豆をつくったりしている。特に水を与えることもなく、肥料を与えることもなく、ただ、周りの草が伸びて日が当たらなくなったら、その時だけ、周りの草をちょっと刈るくらだい。あとは基本何もしない。もちろん、大豆は強いので、そうやって生き延びることができるし、その種を取れば、その土地を記憶した種が生まれて、その土地に馴染みやすくなる。そうやってちょっとずつその土地に適応するようになる。

去年は人参の種を植えていなかったのに、こぼれ種で育った人参もあった。今年も出てくるのだろうか? 僕の場合は、そんなゆるい感じで畑をしている。その場所に最初からあるものだけを利用して、循環を生み出すことを考えている。

無肥料栽培、自然栽培・・・と呼び方はあるのかもしれないし、それぞれいろいろな方法があるのだけれども、まあ、育つものだけ、育てばいいや、という考えで、畑の側に合わせながら、ちょっとずつ循環を拡大している。

ただ、まだまだその畑のことは理解することができおらず、これからも、いろんなものを植えたりしながら、畑と対話し、観察することを続ける日々が続くのであろう。
なんとか彼には育って欲しいなと思うけど、彼がそこに住みたいと思うのか、畑がそれを許してくれるのか、それはもう彼ら同士のやりとりに委ねるしかないのだと、僕は思うのである。
仲良くしてくれるといいな。

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