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問題が生じたときだからこそ原因をさぐらない理由

 みなさんは職場や家庭内・友達関係で大小さまざまな問題を抱えることが有ると思います。そんなときみなさんならどうしますか?よくやりがちなのが問題が“なぜ”おこったかというところに焦点を当てる方法ですがこれを今日は叩き潰したいと思います

原因を探ることの問題点

原因をさぐるという方法は一見理にかなっていてそれ以外の方法がないようにも思えますが私個人からするとあまりおすすめの方法ではありません。なぜなら3つ理由があります

①原因の目的化が生じやすい

なにか問題がおこるとついついなぜこうなった?ということをまずはじめに考えがちですが実際はよくわからないことも問題のなかにはたくさんあります。ですが、不思議なことに人は原因がわからないと次に「なんでわからないんだ」という原因を探し始めます。そして原因のわからない原因をさがしてまた・・・という謎ループに入って抜け出せずに最後には「むずかしい」とか「原因がわからないからどうしようもない」と言い始めます。なんの解決にもつながりません。

②原因がわかったことで満足する

ではつぎに原因がわかったとしましょう。だとしてももう原因が目的化してしまってからでは取り返しが付きません。みんなで「それが原因だったかー」などといって喜びあうことでしょう。しかし、労力を原因についやしてしまっているのでもう問題解決策のほうへ使う体力や思いや情熱は残っていません。結局思いの外成果を上げることができません

③関係性が悪くなる

原因がわかった2つ目のパターンです。原因がわかるとだいたいあのひとがどうとかあのとき違うことをしておけばという話になるわけです。そして「なんでそうしたんですか?」という質問なのか攻めているのかよくわからないことになり結局指摘した人は成敗した気分と原因が相手にあることへの安心感を得ることになる。指摘された人はチームと自分に差があることに気がついたり信頼されていないなどという考え方になってしまい、結局コミュニケーションに問題が生じやすくなり関係が悪化、行動の質も下がるということです。

原因探しはただのツールです

結局のところ目的が「原因探し」になることがそもそもの問題なのです。つまり原因探しを正しく使うことが大切です。詳しくお伝えすると目的は何かということをはっきりさせます。大抵の場合は問題解決に目的を設定すべきです。問題解決をするという目的のために必要であれば原因を特定することも方法の一つにはあるでしょう。

原因探しや相手のミスをしてきして無能だと見下し自分を崇高な立場に置くのは気持ちの良いことですがそれはドラッグであるという認識をしておく必要があります。何かが犠牲になった快楽なのです。喜びは相手を下げて相対的に自分を上げるのではなく、周りが上がっていくことを喜びながら結果自分も上昇しているという形にあります。とはいえなかなか思ったとおりに行かないことも多々あると思いますが気長に思い通りにならない自分と付き合っていくものでもあるなとも思うのであります。

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