「取引」とは人類なりの生存戦略
「私はやっぱり、人と取引していたい」
それを改めて認識する学びがあった。
インターネットとスマホで色々な情報にアクセスできるようになってから、人は今まであまり知ることのできなかった情報に触れられるようになった。私の場合、そのうちの一つがビジネスである。
ビジネスについての知識は学生の頃は全く教えられない。働くようになろうとそうじゃなかろうと、人は生活の中でビジネスと必ず関わることになるはずなのに、商売のキホンのキすら教えられないまま、日本で暮らす私たちは育っていく。
そこにインターネットとスマホで手軽にビジネスの情報にアクセスできるようになったのは間違いなく大きな変化だろう。皆さんも肌で実感しているはずだ。
ただ、情報にアクセスできるようになった傍ら、悩みも増えた。
ビジネスについていろんな人がいろんなことを言うものだから、何を聞いて何を聞かなければいいのかの判断がまるでつかない。
例えば、「こんなビジネスは上手くいく・いかない」「こんなマーケティングは上手くいく・いかない」。
インターネットにアクセスすればそんな情報を山のように目にする。そのことによって、私のようなビジネスを全く知ろうとしてこなかった人間は、誰のどの情報を信用していいのかまるで分からなくなる。
それでも最後は、ビジネスに限らず「誰のどんな意見に看過されようと自己責任」なので、他人のせいにせず、自分で考え、決めていくしかない。
「では、どう考え、決めていくか?」、これが悩みの種だ。
その文脈からすると、今回の学びはとても参考になった。
私は、ある人からすると失敗すると思われるような売り方だったとしても、挑戦してみたい。改めてそう思えたからだ。
商品を売って儲けることで幸せを感じるかどうかは、自分の中でもいまだに答えが定まっておらず、分からない。
ただ一つハッキリ言えるのは、私は純粋に、「自分なりに考えて稼ぐ」という経験をしてみたい・お金というものがどういう状況で発生するのか知りたい、と思っている。人と取引してみたいのだ。
脱資本主義とか共産主義とか「お金をたくさん稼いでも幸せになれるとは限らない」とか、いろんな思想があるが、何が効率的・何が幸せなど関係なく、ただただ好奇心から「稼いだらどうなるか?」「お金とは何か?」が知りたい。
そこで今回の本題だが、この「人と取引したい欲求」は、果たして歪んだ考えなのだろうか?それとも自然な考えなのだろうか?
結論から言うと、自然な考えである。
「取引」とは、他の動物が独自の生存戦略に基づいて生きているのと同じように、人類なりの生存戦略である。
例えば我々が普段から当たり前に使っている「文字」。これは取引から生まれた産物だ。
文字の存在は今から遥か昔の紀元前三千五百年頃、メソポタミアに住んでいたシュメール人同士が、複数の人と物々交換をして生き延びるために発明された。
その当時は、例えば自分が麦を生産している人間だったとして、それを他人に売る代わりに、その人の飼っている家畜が産んだ子供をもらうという取引をしていた。この際、複数の人と自分の麦を交換するので、誰と・どんなものを・どれくらいの数量で交換するかを記録しておかないと混乱してしまう。
そこで、取引した内容を忘れないために粘土のボールなどに、取引相手の印をそれぞれつけて同じカップに入れておく。こうすることで、家畜から子供が産まれて引き取る時に、カップの中を点検すれば、渡しにきた取引相手との記録を確認して混乱なく受け取ることができるのだ。
こうして文字は、人と人との商売(取引)を成立させてきたのである。
同じように、我々が普段の買い物で使っている通貨や、ライブ・イベントに使われるチケットをはじめとする、いわゆる「トークン」。これも古代からの取引から生まれた産物である。
当時は粘土製のボールをに文字を刻み込むことで、取引相手や数量を識別し取引していた。それが技術の発展に伴い、硬貨や紙幣、今ではスマホ上のデジタルデータへと変化していった。しかし根本の仕組みは、古代からほとんど変わっていない。
つまり、我々が今日まで豊かに生きていくために発展した文明は、人と取引するために生まれたものばかりである。そしてこれらの取引は全て、人が人として生き延びていくための生存戦略なのである。
したがって、人と取引をしたい、言い換えれば「お金を稼ぎたい」という欲求それ自体は、悪いことではない。だから人と取引する行為に後ろめたさを感じる必要もない。それは、人類なりの生存戦略なのだから。
ただし気を付けなければならないのは、他人を騙して不当に稼ごうとしたり、人が自由に生きていくのを妨害してまで稼ごうとする行為は、信用を崩壊させて取引しづらくさせる環境にさせかねないので、倫理や思想などとのバランスを見て取引すること。
例えば、「私に任せてくれれば確実に稼げるから安心してください」とか「あなたたちの存在が利益を阻害しているので締め出します」といった行為は、歴史を辿れば、どこかのタイミングで必ず反発が起きていることが分かる。そしてその反発によって、利益が圧倒的に減ったり、場合によっては国家そのものが破綻するケースさえある。
なので、取引相手の倫理や思想に十分配慮して、譲れることとそうじゃないことを交渉によって明らかにさせていくことが大事。
そんなことを学んだ今日この頃である。
以上。
全ての知に「幸」あれ。
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