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祇園祭〜動く美術館と縁の下の力持ち〜

信じられん。車輪の上に立っている扇子を持った二人の掛け声で、あの巨体が見事にズズズズズ…と30度から45度くらい向きを変える。
圧倒された後、拍手の音が鳴り響いた。
見上げると天を突くように伸びる真木とその鉾頭。
屋根にも水引にも前掛・胴掛にも美しい装飾がなされ、「動く美術館」という表現にもなるほど納得である。
これが、祇園祭の山鉾巡行か、と驚くほかない。

遠近感もバグるドデカい月鉾
天水引には美しい鳥の姿が。鳳凰かしら?
何人で曳いてはるんやろうか…
方向転換は一筋縄ではいかない

私と妻は祇園祭に来た。名高い祇園祭、いずれ一度は行ってみたいと思っていたが、思ったより早くその機会が訪れた。無職万歳である。
とはいえ、また働き出すと、祇園祭にはこれからも来られても、宵山や巡行に立ち会える機会は滅多にないだろう。とんでもない貴重な経験ができた。

祇園祭には前祭と後祭があり、私たちは前祭の山鉾巡行と、その前夜祭と言えるだろう「宵山」を見物した。

宵山は人にあふれていた。四条通は埋め尽くされ、一方通行を強いられる。
自分の意志で動くのは難しく、川の流れに身を任せるように、私たちは流される。
山や鉾の提灯が所々で灯り、一際目立っている。

人、人、人

このままでは流されるばかりだと、私たちは何とか岸にしがみつき、飲み物や食べ物を買った。
それから、四条通からさらに小路にそれ、どこを流されているのかも分からぬまま、私たちは歩き続けた。
大阪の生國魂祭の時にも思ったが、祇園祭の屋台には、お祭りでは定番の唐揚げや焼きそば、金魚掬い、スーパーボールなどの定番の他に、地元の店がその軒先に屋台を出している。
クラフトビールの店が出すビールは当然うまいだろうし、居酒屋の出すお好み焼きはうまいに違いない。
さらにいえば、韓国料理やケバブなどを出す屋台もあり、私も韓国料理の屋台でトッポギカルビ?を買って食べた。

鉾からは、太鼓を叩く音が響く。
その音を聴きながら、傘のかかった簡易の休憩席でかき氷を買って食べる妻の姿や、その横のスーパーボールの屋台で子どもたちの騒ぐ声に、お祭りの風情を感じずにはいられなかった。

各山鉾の会所では、粽(ちまき)を買うことができた。
粽と言えば包まれている甘い餅を食べるイメージだったが、この粽は食べられない。「蘇民将来子孫也」の護符のついた粽によって厄を避けるという風習があるのだ。

この「蘇民将来子孫也」という護符については、少し前に読んだ本の知識が偶然にも役に立った。
それは、新潟県立歴史博物館監修『まじないの文化史 日本の呪術を読み解く』(2020,5,20、河出書房)という本である。
奇しくも「蘇民将来(之)子孫」について書かれていて、私は次のような覚書を残している。(覚書のため誤りもあるかもしれない)

卜部兼方著『釈日本紀』に引用された備後国風土記逸文「蘇民将来子孫」についての記述がある。
蘇民将来という兄弟の兄が、貧しいにも関わらず快く旅の人(「武塔の神」)に宿を貸した。
その弟は滅ぼされたが、弟に嫁いでいた兄の娘「茅の輪を腰に提げておくように」という武塔の神の言いつけを守り、滅ぼされずに済んだ。
神は自らを「速須佐雄神」と名乗り、後の世に疫病があれば「蘇民将来の子孫」と言い、腰に茅の輪を付ければこれを免れると言ったという。

八坂神社の後祭神は「素戔嗚尊」。蘇民将来伝説が祇園祭に粽として残ってきたのも当然と言えるだろう。
茅の輪といえば「夏越の大祓」であるが、まさかそれが粽にも繋がるとは。
考えれば「粽」=「茅巻き」なのかもしれない。
腰に「茅の輪」を下げるのと「粽」を下げるのはニュアンスの違いと言えるか
ならばなぜ粽は甘い餅を巻いて食べるものだという認識が広がったか(少なくとも四国ではそうだった)。
謎は深まるばかりである。(調べれば良いのだが、こういうことはいずれ分かるものである)

話が粽の方に逸れてしまった。

私たちは拝観料を払い、「岩戸山」に乗せてもらった。
「岩戸山」は「山」でありながら、「鉾」のように車輪がついていて綱で引くことのできる「曳山」である。
鉾と同様に、囃子方が乗り込むことができる。
急な階段を恐る恐る上りながらも、これが囃子方の見る景色かと、感動せずにはいられなかった。
これも「宵山」でしかできない経験。貴重な経験をさせていただいた。

たくさんの提灯が。上真ん中には「岩戸山」
岩戸山に乗り込んで見下ろす眺め。貴重や〜
振り返ると急な階段が。降りるんも怖い

さて、ここまでが「宵山」の話。壮大な前夜祭を終え、私たちはくたくたになった体を京都のリーズナブルで質の高い宿で癒し、前祭の「山鉾巡行」に備えた。

私たちは京都市役所前で降り、巡行を待った。
辺りには鉾や山が近づくにつれて次第に人が増えていき、歩道を埋め尽くした。
中には熱中症になる人も出てきて、改めて祇園祭の熱狂を感じた。

ビルの立ち並ぶ都会に突如現れる巨大な鉾は、異様な雰囲気をたたえている。
まだ遠くにあって陽炎に包まれていてもなお、その存在感は圧倒的だ。
お囃子の音が大きくなる。人口密度が高まり、熱気に満ちていく。
祇園祭は最高潮を迎えている。

先頭の「長刀鉾」が到着した。
この京都市役所前は巡行路の二つ目の曲がり道。
山鉾はほぼ直角に曲がっていくため、90度の方向転換をしなければならない。
鉾は簡単には曲がれない。車輪の下に竹を敷き詰め、水を撒いて、少しずつ角度を変えていく。
30度ずつ、三回に分けて車輪を回し方向転換をするイメージだろうか。
鉾の巨体を多くの人が力を合わせて動かす姿に拍手を送らずにはいられない。

それぞれの山や鉾の意匠にも注目である。
「動く美術館」とも言われる山鉾は、色とりどりに花鳥風月を表し、美しい山水や天人、龍や麒麟、鳳凰といった想像上の動物を描き、伝説的な人物や場面も切り取られている。洋の東西を問わず、荘厳な城が描かれたものもある。

麒麟?
「天神山」立派すぎる
中国の城?分からん
天女様かしら?
花に鳥に魚に龍に。とりどりやね〜

浅学な私には、その故事に言及することはできない。
それでもその美しさには度肝を抜かれてしまう。
本当に美しいものを前に語彙力を失った私にはもう「めっちゃすごい、ごっつでかい」としか言いようがない。

祇園祭の魅力は語り尽くせない。そもそも味わい尽くせていない。
もっと近くで見たいと思ったし、もっとそれぞれの山や鉾について知りたいとも思った。
見物、一回きりで終わったらいかん。これは来年も再来年も、もっと知識を蓄えてから行かないかん。実感である。
それでも、この一回はだいぶ心に刺さるものになった。
祇園祭のとりこになってしもた。

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