『失敗の本質』から読み解く、コロナ禍に学べない日本的組織 ②

・・・続き

組織的学習機会の喪失

日本的集団主義の構造的問題は、個々の事象から学びを得るという体制が取れていないことでもある。本書では、二つの問題点を挙げている。

1)科学的視点の欠如

個々の事象の成功・失敗に関わらず、その要因を科学的に分析を通して理論化し、次の意思決定につなげるという体制ができていない。その点、当時の米軍はパールハーバーでの敗退、英軍はマレー沖海戦での敗退から大型戦艦建造計画を中止し、航空母艦と航空機を中心とした機動部隊中心に切り替えた。一方で日本軍はガダルカナル島での一斉攻撃失敗にも関わらず、教条的に同じ戦法を繰り返したことを指摘している。

今回もまさに同じ轍を踏むかのようだ。

「専門家による判断を...」という言葉をマジックワードにし、判断すべき基準を作ることを試みなかった。ゆえに国民が行動すべき指針がなく、曖昧な指示、中途半端な結果に陥ってしまうのではないか。そして、自警団に見られるように、個々人が暴発してしまうのである。

一方で今回もアメリカ、特にニューヨークは今回も見事に学習をした。

4月ごろには世界最悪とまで言われた感染者数を出し非難を浴びたが、数か月経った今、感染抑止を成功させたモデルケースになりつつある。

それは、偶然ではない。経済や個人の自由と両立させながら感染を抑止するという目的に向かい、「徹底的に検査数を増やし、早期に拡散を食い止める」という明確な戦略を敷いたためだ。そして、それは医療崩壊寸前まで陥った経験から早期の拡大防止が必要であることを学び取った結果でもある。

2)情報共有システムの欠如

組織が学習をするためには、組織内で情報共有が満遍なくされなくてはならない。人的ネットワークが中心の日本的組織では、情報の共有が少数に留まり、組織体系として共有できる体制がない。

これについては、台湾の事例が非常に参考になる。台湾では、トップから現場の末端まで組織として非常につながっていた。里長といわれる町内会長が感染者の把握と行動履歴をしっかりと情報収集し、政府が感染拡大防止に向けて情報を活用できる体制ができていた。それが、早期の感染抑止と感染者数0人達成という結果を生んだのである。

今の日本は80年前と全く同じ

ここまで見てきたように80年前と同じ構造的な課題を今も抱えていることがこのパンデミックを通して明らかになった。

「目的と戦略のあいまいさ」「情緒的つながりに依拠した組織体」「科学的見地を欠如した学習体制」「情報共有の狭さ」...

国と東京都の方向性なき政治闘争や雰囲気であれこれ変わるGoToキャンペーンしかり、まずは明確な目的を打ち出すことが変革への第一歩なのかもしれない。しかし、その一歩が一番難しいこともまた事実でもあるだろう。和を以て貴しとなす国民である。侃々諤々の議論はどうも似合わない。玉虫色の表現がある文化でもある。どんな明確な目的を掲げても変幻自在に変えてしまいそうだ。

ここまで、ネガティブなことを述べすぎたので、強みについて最後に考えてみたい。

本書では、日本的集団主義の組織について、"逆説的ではあるが、「日本軍は環境に適応しすぎて失敗した」"と結論づけている。少し本書の意味合いとは異なるが、今回の騒動を通じて感じたことは、「日本人は環境に適応できすぎて日本という組織が失敗した」ということだ。

世界各国の人が摩訶不思議と日本を分析するのは、「自粛」という酷く曖昧な行動指標で一定程度の効果が出てしまったことだ。これは、もちろん個々人の努力やモラルの高さを評価すべきだが、同時に組織としての成長機会を奪ってしまったとも言えないだろうか。ゆえに今八方ふさがりで苦労しているのだ。

このパンデミックは日本という組織が変革できるほどの教訓を得るまで私たちを苦しめるのかもしれない。

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