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ぼくのおじ遺産

祖父が死んだ。
ぼくに遺産を残した。
サグラダ・ファミリアだ。

だだっ広い庭の一角に築き上げた。
完成しているのか未完成なのかはわからない。
木やら空き缶やらペットボトルやらわけのわからないガラクタやらで作り上げた。
たったひとりで、少なくも70年かかって。

桜田家造。
ぼくの祖父の名だ。
享年90。

祖父については、片手で数えられるほどの思い出があるだけだ。

小学校に上がる前、父が突然大学に戻ってしまった。
何やらやり残した研究を完遂させたいという。
その間の数年、母はぼくを連れて、秋田の実家に帰った。
そこに祖父母がいた。

広い広い庭の一角に、葉の豊かな木があって、腎臓形の、アケビのような青い実が生っていた。
なんだかひょうきんな顔をして、ぶら下がっている。
幼い僕が祖父に問う。

「あれ、なんていう実?」

「ポッポーさ」

祖父は答えた。
鳩の鳴き声のような名前が、面白かった。
いかにもその実に、似つかわしい気がした。

それがポポー別名アケビガキのことだったと知ったのは、最近のことだ。
祖父といえばポッポー。
ぼくの中では、それが祖父の一番の思い出だった。

もうひとつは、中学生の時。
親に頼まれた野暮用で、ぼくは単身秋田を訪れた。
2、3泊した記憶があるのだが、あまり覚えていない。

よく覚えているのは、ひとつだけ。
祖父は何やら分厚いハードカバーの本をちょこちょこと読んでいた。
歳の割には老眼もひどくないようだったのだが、時折単語を指さして、「これ、なんと書いてあるんかね?」とぼくに訊ねるのだった。
ぼくの滞在中に、3回ほどあったように記憶する。
読んでいたのは、ガウディの解説書のような本だった。

それが多分、祖父に会った最後でもあった。

これはその後に知った事実なのだが、祖父はガウディに憧れて、若い頃独りバルセロナに渡っていた。
そこで何をしていたのかは不明だが、数年間を過ごしたようだ。
そして帰国するなり、「桜田のサグラダ・ファミリア」を作り始めたらしい。

70年もかけて祖父は、出来損ないのオブジェみたいな代物を作ったのだろうか。
それとももしかして、本家のサグラダ・ファミリア同様、まだ未完で、その後をぼくに託したのだろうか。

現場を調査してみると、とんでもないことが判明した。
地上のガラクタは氷山の一角、筍の頭だったのだ。

出来損ないのオブジェの下には巨大な大建築が埋まっていた。
子供の秘密基地みたいな、ごちゃごちゃした地上部分には、一見したところではわからない入り口があった。
そこから中に入ると、何層にも分かれた部屋になっている。

何をきっかけに何を思ったのかは謎のままだが、祖父は一生を捧げて、たった独りで、地下シェルターを作っていたのだ。
それはシェルターというよりも、地下都市、楽園だった。
あるいは、ダンテの神曲の世界。

マニュアルのようなものは一切残されていないので、手探りでひとつひとつ、謎解きをしていくしかない。
自家発電の設備もあるようだし、昨日は最下層に、屋内ポポー園も見つけたのであった。

祖父が一生を掛けて残してくれた遺産を無駄にしたくない。
一日も早くその全貌を極めたいと思っている。

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