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リーちゃん
その人は赤いリードを手に持って散歩をしていた。
リードの先には何も見えない。
とりわけ目立つ出で立ちをしているわけではないのだが、どこかセレブ風のご婦人。
おばさんとは呼びにくい雰囲気だ。
イングリッシュガーデンをモチーフとしたタワーマンションの、広い敷地で遭遇した。
愛犬が逃げてしまったのかと最初は思った。
それにしては、落ち着いて見える。
散々探しまくった挙句、諦めたり途方に暮れたりしているところと考えることもできた。
その考えはしかし、すぐに否定せざるを得なかった。
リードを引く様があまりにも自然だったからだ。
だとしたら、目には見えないペットを散歩させているのではないだろうか。
妄想の中の架空の生き物?
この世のものではない霊のような存在?
それとも、遠目には見えないほど小さい生き物…例えば蛙や昆虫?
あるいは、今は亡き愛犬や愛猫…。
もし最後だとしたら、気軽に声を掛けるのはためらわれる。
そっとしておいた方が賢明かもしれないし、仮に彼女が誰かの共感を求めていたとしても、どう対応したらよいのか僕にはわからない。
…ということで結局僕は、そこに好奇心だけを残して立ち去った。
数日後、雨の日にまた、そのイングリッシュガーデン風のマンション敷地を通った。
風もあって、時々突風が来る。
立地上、そこは普段でも、ビル風があった。
そんな天気でも、貴婦人は散歩をしていた。
一方の手に白い傘を持ち、他方の手には赤いリードを持って。
リードの先は相変わらず無だった。
雨に濡れた地面をこすっていた。
突風がさっと白い傘を巻き上げる。
開いたまま不安定に無軌道にに空を舞う。
看過するわけには行くまい。
自分の折り畳み傘を乱暴に畳んで、手に持ったまま白い傘を追いかける。
雨はそんなにひどくはない。
走るのに大して支障は無かった。
発射した地点からは、かなり離れた所に着地したが、白い傘を無事捕獲することができた。
駆け足で貴婦人に届ける。
「ああ、助かりましたわ。
ありがとうございます」
「いえ、どういたしまして。
濡れたりしませんでしたか?」
「ええ、ちょっとだけ。
でも、大した事ありませんわ」
「傘、壊れてませんか?」
「はい、大丈夫のようです」
さあ、こうなったら、尋ねないわけには行くまい。
勇を鼓して、問うてみる。
「あの…前にも拝見して気になっていたんですけど、ペットは…ワンちゃんなんでしょうか?
正直のところ、僕には、見えないんですけど…」
「ワンちゃんでもネコちゃんでもありませんわ。
リーちゃんです」
「リーちゃん?」
「わたくしの、かわいいかわいいペット、リードのりーちゃんですわ」
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