スマホレス
徳大寺君は、物を失くす癖がある。
しょっちゅう、あれが無い、これが無いと、探し回っていた記憶しかない。
5年ぶりで会っても、あまり変わりは無かった。
徳大寺君とは、武田理沙さんのライブで知り合った。
たまたま席が隣り合って、なんとなく話しているうちに、親しくなってしまったのだ。
徳大寺君は当時、某国立大学工学部の大学院で、何やら小難しい研究をしているらしかった。
音楽の好みが重ならなければ、ほかに接点は無かったに違いない。
その後、僕が脚の大手術をしたりなんだりで、ライブから遠ざかってしまったので、徳大寺君に会う機会も無くなっていた。
今回は久々に、ライブに来たのだった。
対バンだったが、武田理沙さんも登場する。
もしやと期待していたら、案の定、徳大寺君に再会したのだ。
相変わらずだった。
「チケットがどっか行っちゃって、焦りましたよ」
「相変わらずですねえ…でも、徳大寺さんなら、顔パスでなんとかなるんでは?」
「いやあ、もしかしたら通してもらえるかもしれませんけど、僕、そういうの苦手でして…。
スマホに入れるとか、せめて写真でも撮っておけばよかったんですけどね」
「で、結局、見つかったんですよね?」
「ええ、ズボンのポケットに。
僕、普段は絶対、ズボンのポケットに大事な物は入れないんです。
落とすことはわかってるから。
それが今回はどういう風の吹き回しか、入れてたんですよねえ。
直前に気が付いて、やれやれでした」
「大学では色々研究されてるみたいですけど、落とし物や失くし物を防ぐ研究とかは、なさらないのですか?」
冗談半分に訊いてみた。
「そうそう、それそれ、ちょっといいことを思いついちゃったんですよ。
ここ数年、僕の身辺でも、キャッシュレス化が一気に進みましてね、否でも応でも、カードを使うことが多くなったわけです。
カードをたくさん持ってたら、失くすのは目に見えてますから、数を絞って持ち歩いたんですけど、それでもやっぱり、失くしちゃうわけです。
それではということで、スマホで一本化してみたんですけど、その肝心のスマホも、情けないほどしょっちゅう紛失してしまうというわけで…本当に、どうしようもないやつですよね。なんだかんだで、思いついたのが、スマホレスというアイデアでした」
「スマホレス?」
「そう、文字通り、スマホを無いものにする。
但しあくまでも、見かけ上だけです。
つまり、体に埋め込んでしまおうと」
「えっ?
ちょっとしたチップだけなら、前例があったように記憶していますが、スマホを埋め込むというのは、どうだったかなあ…。
で、やちゃったんですか?」
「はい、やってしまいました」
「手とか頭とかに…?」
「それは言えません。
強盗に襲われたりしたら、解剖されちゃうかもしれないので」
「操作はできるんですか?」
「はい、もちろん。
そこは抜かりありませんよ。
仕掛けは秘密ですけどね」。
「それで、当面の課題は解決できたんですか?」
「いい質問ですね。
半分は解決できたんですけど…いや待てよ、半分以下かなあ…とにかく、満足できるかというと、そうも言えないわけでして…。
信用してくれない相手が、少なくないんですよ。
ちゃんと支払いは完了してるのに、納得できないみたいで。
そこで、やむを得ず、これを使っています」
徳大寺君の取り出したのは、iPhoneだった。
モデルは13あたりだろうか。
「結局はスマホってことですか?」
「いえ、これダミーなんです。
形だけ見せるってわけですね」
徳大寺君は苦笑したが、その苦笑は嬉しそうな苦笑でもあった。
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