匂いの色
それは夢の匂いだろうか。
うつつの匂いだろうか。
それとも、夢とうつつのあわいの匂いだろうか。
あわいは、目に見えない空気みたいなものだろうか。
どろどろした泥のような、じゅるじゅるしたジェルのようなものだろうか。
それとも、半固体か、木のドアか、鉄の門か、コンクリートの壁か。
とにかく僕は、翡翠色の匂いで夢から覚めた。
その匂いは夢の残り香のようでもあり、気付けの刺激臭のようでもあった。
天井にはまだ、灰白色の匂いが重く垂れ下がっている。
目は覚めているのだが、起きる気になれない。
心も体も、起きることを拒否している。
ベッドには群青色の匂いが染みついていた。
夜と顔と息と言葉を飲み込んだ匂いだ。
パジャマは杏色の匂いがする。
誕生祝にもらったパジャマだ。
それを選んでそれを僕にくれた人は、もはや赤の他人だ。
抜け殻のように残ったパジャマはしかし、途轍もない着心地で今なお僕から離れない。
ベッドサイドテーブルには、ぬいぐるみの黒猫。
誰にもらったのかは忘れたが、誰よりもぬくもりを宿している。
偽物の体毛からは、梔子色の匂いが溢れる。
朝日の指先が、壁の額絵をくすぐっている。
不思議の国のアリスをモチーフにした、大好きな画家さんの作品だ。
プレゼントしてくれた女性は、若くして病に倒れた。
クールな横顔と静かな低い声と紫の匂いの染みついた絵。
朝日の指を、手を、腕を辿ると、カーテンの隙間に至る。
外は太陽の飴色の匂いに満ちているのだろう。
僕はうつつのカラフルな匂いに包まれ、守られ、癒されている。
起き上がって、きょうもまた一日を始めてみようと思った。
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