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葡萄奇譚

グレープフルーツは柑橘類なのに、なぜグレープなのか。
やはり気になっていた。
味が葡萄っぽいからだろうと、勝手に思い込んでいたのだが、意外な事実を知った。
あの大きな実が、房のように集まって生るのだ。
たわわに生っている写真を見て、びっくりしてしまった。

その時、ふと思った。
世の中にある他の多くの果物も、日頃は単品でしか見ていないからわからないものの、実はグレープフルーツみたいに、房状に生っていたりするのではないかと。
例えばスイカ。
蔓に生って、地面をごろごろしているのは、知っているし、見たこともある。
もしかしたら、しかし、木に房状になる種類なども、あるのかもしれない。

グレープフルーツにまつわる話をなぜ思い出したのかというと、千駄木さんがセダム・レッドベリーを見せてくれたからだ。

千駄木さんは、千駄木時計店のおかみさんだ。
時計屋の主とは、一回り以上年下の、40代と思しき、元気な気のいい女性だ。
店に出ることは滅多に無く、飼い猫の世話や保護猫活動が生活の中心になっている。

千駄木家には3匹の猫がいるのだが、三毛猫のみーくんが時計店の看板猫になっている。
みーくんは希少な雄の三毛猫なのだ。
みーくんを目当てに、千駄木時計店に通っているうちに、なぜか気が合って、おかみさんと親しくなった。

その日は、たまたま千駄木時計店の前を通ったのだが、時間に余裕があったので、みーくんに挨拶でもしておこうと思った。
店にいたのは、おかみさん独りだった。
旦那さんが歯医者に行っているので、店番をしているという。
肝心のみーくんはお散歩中で、まだ戻ってきていないということだった。
ならば日を改めてと、辞去しようとしたところ、おかみさんに呼び止められたのだ。

「最近多肉植物に凝ってるんですよ。
ほらこれ、一番お気に入りの子。
セダム・レッドベリーっていうんです。
葡萄みたいでしょう?」

小さな鉢植えだが確かに、やや楕円形のレッド系葡萄を小粒にしたような多肉の葉が、房みたいになっている。
そのお気に入りの子について、ひとくさり熱く語った後で、こんな話になった。

「赤い房の中に、ある日ピンクの粒を見つけたんです。
それがどんどん増えて行って…。
もしかしたら病気じゃないかなと思って、詳しい人に訊いたり、自分でも調べたりしたんですけど、わかりませんでした。
でも、気味が悪いので、ピンクの房を抜き取ったんです。
それでも、捨てるに忍びないから、自宅の庭の片隅に埋めちゃいました」

その後は見ての通り、お気に入りの子の方に変化はない。
庭に埋めたピンクの方はどうなったか知りたかったのだが、その時にはそれで話は終わってしまった。

けれども、それから1週間もしないうちに、スーパーでおかみさんに遭遇したことから、セダム・レッドベリーのピンクの房の話になって、翌日、千駄木さん宅を訪れることになったのだ。

庭の隅の目立たない所に、高さ30センチくらいのピンクの三角錐の塔があった。
近付いて見ると、それはピンクの丸い粒が集まったものだった。
ピンクの葡萄の房を逆さに立てたような感じだ。
粒の大きさは、直径2~3センチくらいだろうか。
正確な数はわからないが、100粒にはならないだろう。

「ずいぶん大きくなったんですね…」

「ええ…。
まだまだ大きくなりそうですけどね。
目を近づけて、よ~く見てみてください」

おかみさんに促されて僕は、腰を落として、顔を近づける。
ピンクの粒のほとんどには、目鼻が付いている。
人間のような…けれども、胎児のように未完成な目鼻だ。

さらに目を凝らすと、ひと粒ひと粒から何か、紐のような、蛆虫のようなものが出ている。
小さくて細長い、胴体と手足のように見える。

ピンクの房から視線をおかみさんの顔に転じると、嬉しそうな、悲しそうな、戸惑ったような、微妙な表情が迎えた。

「うちは子宝に恵まれなかったから、神様が代わりに、この子たちを授けてくださったんじゃないかと…」

おかみさんは聖母のような眼差しで、静かに微笑んだ。

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