2021年9月20日 定期的な「立ち止まり」について

自分の生活のリズムが変わった時に、改めて何を目標にして生きていくかを見直すことが大事だと思う。僕は1年に1回、年明けにまず今年の標語を決める。それを紙に書いて、家の壁のよく目につくところに貼っておくだけで、随分毎日の生活は変わると思う。目標は立てた後にもずっとそれを意識できるように仕組みを作っておくのが重要だ。

こうやって改めて文章に起こしてみると、意識が高い一昔前のビジネス本みたいな感じがしてちょっと面白い。
今年の年初に僕が書いたのは「絵と文章を書く」ということと「自分で料理を作って食べる」という2つだ。振り返ってみると、自分の今の生活にアート的なものが不足していたのと、仕事が忙しくて自分と向き合う時間が足りなかったから出てきたものなのかなと思う。
残念ながらこの目標は達成とは言えない感じなんだけれど、そもそも最近は変化が多すぎて、振り返りが1年に1回で足りるのかと言われるとそうでもないような気がしている。半年に一回くらいは見直した方がいいのではないだろうか。

転職をしてさらに仕事は(いい意味で)忙しくなっているし、自分の時間をそもそもどうやって捻出すればいいのかまたわからなくなっているような状況だ。
本を読んで日記を書くことだけでも精一杯だし、自分の体調や体力の限界も感じてきていて、もやもやと中途半端な時間を過ごすことも多くなっている。
絶対に達成できないようなものが壁に貼られていると、自尊心が削がれるだけになるので早くやめた方がいいかもしれない。

うまいこと毎日のルーチンが回ってくれればいいんだけど、ここまで急激に生活が変化すると、柔軟に対応するにも限界がある。
そういうときはゆっくり時間をかけて立ち止まってみるのがいいのだと思う。今は少し流されているような気がしている。
本を読めなくなってくると自分の興味関心とか知性が消えてなくなってしまうような気がして毎日が不安になってくる。日記が書けなくなってくると、自分の中の統一性がブレるような気がするのと、目に見えない何かを溜め込んで、爆発しないかどうか不安だ。不安のまま毎日を過ごすのは大変よろしくない。

今月の目標は、新しい生活を立ち止まって考えることにしようと思う。
昔のままだと成り立たないことが、とにかく多すぎる。いろんなことを言い訳にして、立ち止まるのが怖かったのかもしれない。勢いに乗っている時はそのまま進めばいいけど「ん?」と思う瞬間があったら、それが言語化できないとしても、まずは自分の直感を信じて立ち止まるべきだったんだと思う。

誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。