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2021年9月12日 今日も休憩の多いレジャーをそれなりに楽しんでいる

最近、体が痛くて動きたくなくなってしまうことが多くなってきたような気がする。運動不足が原因だろうと思うけれど、平日に仕事を遅くまでやって、土日に自分のやりたいことをやるというような生活を続けていると、ゆっくり運動をするような、特に精神的な余裕は生まれてこない。
優先度の問題だから、自分の中で運動することを上にあげればいいんだけど、やっぱり本を読んだり喫茶店に行ったり、そんなことをするだけで1日が終わってしまう。
「時間を効率的につかえ!」みたいな本を時々読み返して、意識の高さだけでも取り戻そうと心がけてはいるけれど、あの手の本には決定的に体力というかエネルギーのバランスに欠けている。
日によって気分も違うし、体力も違うし、そういう長期的なリズムが考慮されていないから、結局のところ「自分の調子次第だよな」という結論になってしまう。

エリートサラリーマンのように朝早く起きて夜遅くまで仕事をして休日はレジャーを楽しむ、みたいな生活は僕には多分向いていないのかもしれない。それはそれで結構悲しいんだけど、27年も生きてきたらそろそろ自分の身体のこともわかってくるようになる。これでも自分の身体は、特に大きな病気もなく、時々胃腸炎になったり頭痛で動けなくなる以外は頑張ってやってくれていると思う。むしろ酷使しているのに大丈夫なのは年齢的な回復スピードによるもので、それもそろそろ帳尻が合わなくなってきているのかもしれない。

「散歩は好きなんだけど、10分くらい歩いたらもう結構疲れてきてお茶の時間にしたくなる」という概念が通じるかどうかによって人間関係も大きく変わってきたと思う。休憩している時間の方が長いのに気持ちは目一杯「レジャーした」という気分になる。
今日も出かけようと思って勇んで駅まで来たものの、なんとなくどこに行ったらいいかがわからなくなってしまって、改札の中の喫茶店で1時間くらい休憩してしまった。
その後元気が出てきたので、電車で10分くらいの市街地まできて、アテもなく家電量販店に入ってみた。買い物したい欲求はあるけれど、特に欲しいものはないし、そんな気分でぶらぶらしていて、もちろん楽しいこともあるのだけれど、それよりも人混みに疲れてしまう。
結局、今もこうして喫茶店に入ってこの文章を書いている。
喫茶店にはたくさんのお客さんがいて、今日もどこかの誰かがたくさん休憩している。休憩のしすぎで満席で入れないこともある。みんな疲れているのだろうか。それとも、「喫茶店レジャー」ということでエネルギーをたくさん発散しているのだろうか。

誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。