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2021年10月30日 なぜ僕が文章を書き続けているのか

こうやって文章を書いているのはなぜだろうと、今日は急に頭に浮かんだ。
最初に文章を書くことを始めたのは、2、3年前のことだろうか。その時はSNSもしっかり運用して、「マネタイズ」なんかができれば良いかなと思っていたような気がする。
相変わらず、「何者か」になりたい自分が強く出ていたような気がする。まぁそれはそれで悪いことじゃないし、満たされていないからエネルギーも出るという面もあるだろう。

結局そういうことは僕のやりたいことじゃなかった。そして、そういうガツガツしたものは根本的にやりたいことじゃなかったんだと思う。
僕はただ、時間が経つのが怖かった。変わっているのかいないのかわからないけど、歳ばかり経ることが怖かっただけだと思う。
何かを残しておかないと全部忘れてしまう。もともと記憶力がそんなに良くないので、自分にとって大切だと思っていたこともどんどん忘れてしまう。「昔のことを覚えてないの?」と問われるたびに、本当に覚えてなくて、それを正直に言っても信じてもらえないことが、結構心に響くものがある。

27歳になりました、という文章をつい最近書いたような気がするけど、もうそれも半年経ってしまい、28歳になってしまう。
気がついたら大学は卒業していたし、仕事はもう4社目だし、毎月口座に給料が入ってくることは変わらないんだけど、マンホールの中に入って現場監督していたのが、気がついたらデスクに座って「専門職」とかいう感じでWebマーケティングなんてものをやっている。

もちろん、自分が進んできた道の結果でしかないんだけれど、体感というか実感というか、自分の中にある「経験」みたいなものは文字で書き起こすものとは全く一致しない。本当に一瞬だった。そしてほとんど何があったかは忘れてしまった。
20歳になってから7年も経つんだけど、時間を飛び越えたと言われても納得してしまいそうだ。

そういう時間の進みの速さに耐えられなくて、何か書き残していないと生きていたことすらも忘れてしまいそうで、とても怖い。
これが僕が文章を書いている本当の動機だと思う。
誰に見られなくても、とにかく自分がなくなってしまいそうで怖いから書き続けている。今日思った、感じた、この一瞬を忘れずに書き残し続けることだけが支えになって今日も時間に流されることができている。
そういう一瞬のことだから、1000文字くらいがちょうどいい。適度に散らかったままで、他人が読んだら分かりにくい文章かもしれないけど、そういう散らかり具合もそのまま残せているのがベストだと思う。

10年後くらいに自分の文章を読み返したら面白いかもしれない。10年後は37歳だ。今は遠すぎて想像もつかない。

誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。