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人生は儚く泥臭い

次の時が見える人生なんて
何にも面白くない
その先の時を
プラスにするために
必死にもがくだけ

もがいていない人なんているのだろうかと思う。私なんて、いつももがいている。いつも溺れている。溺れていない時は、ぽつんと小さな無人島に置いて行かれている様に孤独で。その上で、それでも何かできないか考えてモヤモヤしている。人生には浮き沈みがあって、いつもいい時ばかりではい。なんて言うことは誰もが思う事。そうして、平穏な幸せとは何か?なんて、考えもしない生き方をしている人も多いのだと思ったりする。どうなのだろう。私は、浮き沈みが大きすぎて考えざるを得ない。今は、浮かんできている中で少しの波風にあたる事があっても大抵は平和…。と言っていいのか。波の上で良い状態の時は、ジュエットホイルに乗っているかの如くに高速で走り続けないといけない。ヨットの様な穏やかな波乗りを楽しむ様な浮き時間はない。たまには、大きな浮き輪の真ん中にお尻入れて、ぷかぷか浮きながら温かい日差しを浴びてウトウトしたい。
それでも、最近はそんなふうに思う事もある。そうか。波風がない時には、悪い事もなく高速走行もなく。何事もない。それが平和という事なのかな?私には、平和が暇で刺激のない不足の時に思えるからただそれに満足しようとしないだけなのかもしれない。たまには、それに少し乗っかって好きな事でもしながら過ごせば良いのだ。
それができないのが私。
『波瀾万丈だよね?』人は私にそう言う。昔からの友達と久々に会って近況を話すとこう言われる。
『生き方が下手なんだよ。』とも言われる。これは年長者から。母や年上の彼から。
年上の彼は、どんな話も聞いてくれて、私が誰にも愚痴を言えなくて、愚痴を言うことはしてはいけないと体の中に溜め込んでは精神を病んできた私の鎖をとってくれた。誰かから私に投げられたトゲトゲボールは、私の中に取り込まれていつも病んだものだ。若い頃からそう。精神的に…と付くような病気には沢山なってきた。自家中毒。これは、小学生の時。子供の時から、ストレス抱えたたんだなと思う。自分の中のストレスで、食中毒のような症状が出るもの。母が厳しかったから逃げ場がなかったもの。この時も、具合悪い私に、あーしろこーしろってうるさかったのを覚えている。急性腸炎。帯状疱疹。抑鬱状態(今で言う双極性障害)。この辺は20代でなった。20代からよくあったのは、ストレスを感じると咳が止まらなくなる症状。緊張感を感じると止まらなくなる。会議中、打合せ中によく起こる。これは、仕事中が多くて結構悩まされた。打ち合わせで、頭の中で色々考えて、自分を追い詰めるような考えに至ると喉の奥が痒くなり咳が止まらなくなる。嗚咽を伴うくらいになる事もあった。こうなったら席を外す。それをするようになったのは、40代くらいになってから。それまでは、それもしてはいけないと我慢していた。一時は、喉の薬を常備していた。喉が悪いわけではないのに。でもこれは診断もついていない。でも明らかなストレスによる症状。20年以上これは続いている。今も時々なる。そして、適応障害。これになった時、若い頃の抑鬱状態になった私を思い浮かべた。私はこれから崩壊する。私は人格を保つ事ができなくなっていく恐怖を感じていた。ただ座っているだけで涙が止まらなくなる。感情を抑えられない。何を考えたら良いかわからない。頭が痛い。体が動かない。ただ、私はこれから崩壊する。という恐怖が目の前にあった。そして、病気になる原因となった沢山の仕事やプライベートなどの事が覆いかぶさって私はどんどんそこから深い闇の海の中に、そしてうちの底の泥の中に追いやられていった。息なんてしていない程に。なんとか呼吸をするだけで、目を開けることすら辛い。そんな日々が続いた。それを、罵倒する夫を横に置いて。クズ、人のゴミ。などの罵声を浴びて。この人の罵声は、病気が発症する数年前からあり、私は仕事のストレスと共に家でも罵声で精神が保てなくなったと。そう今となっては思うが。その時は、この夫に、私の崩壊する姿位をせたくない。9歳年下の夫に、もう私のような崩壊した妻ではなくて、若い人と再婚して幸せになってほしい。と、そんなことを病み貶められていく中でも考えていた。そうして、離婚してと伝えたりした。それを聞くと夫は逆上して、私の頭がおかしい。と言って怒鳴った。会話ができない。相手は正常な会話ができず、私は病んでいて正常な判断ができずにただ口論は意味もなく続き壁に穴が開き、夫はワイングラスを手で握り潰した。手からは血の滴る。絨毯にその血が染み込む。その手をそのままに私を睨みつける。そうして私を殴った。

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