プラットホームの金魚

ある朝の通勤電車。私はうっかり気づいてしまった。実は金魚の一匹であることに。

揺れる車内でスマートフォンをペタペタと触り、冷たい文字盤をのぞいていると、ほんの少しだけ息継ぎしている気持ちになって、私はいつも和金になってしまう。紙のように薄い口をパクパクさせながら、頭上にごくわずかな水面から上の世界を眺めつつ、電車に揺られるたぷたぷの水を、あゝこれはいつもより少しぬるい水だななんて、感じてみたりする。

ゲートが開き、一斉にプラットホームになだれ込む。一生懸命流れに乗って、大きな黒い群に加わるわたしたち。ーなるべく早く次の列車に乗り継げるように。大きな群れの真ん中には心地よい流れ。中心から周縁に広がるにつれ、流れは、柱や自動販売機の隅っこや白線の外側でゆるやかに停滞する。

新宿駅は薄いガラスで囲われて水で満たされた大きめな水槽。リーダーはいないし、言葉の形をまとったルールもないのに、金魚たちは巨大な群れを俊敏にくっつけたり離れたりさせながら、ガラスの内側を鮮やかに泳ぎまわる。見えない何かに統率されてるのかしらん?いや、これは魚の野生の記憶が成せる技。きっと、駅のプラットホームで金魚は本能に目覚めているのだ。

ーわたしたちって、なんて美しい生き物なんでしょう。

少し自虐的な、そんな恍惚に浸ってしまうと、金魚の魔法は解けてしまう。魚になりきらずに眺めているのは、苦しくて大変なのだけれど、目の前に広がる光景があまりにも神秘的で不可思議で、私は無理してしばらく半魚人のままでいる。

たぶん、駅を囲う透明のガラスは、モラルとかルールというヤツで、水槽を満たす水は「空気」というやつだろう。

楽しく筆を滑らせながら、私ははたと手を止める。

透明なガラスが割れてしまったら、
金魚たちはどうするのかしら?

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