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飛行機の機内誌を作っていた時の話

私は編集・ライターとして、とある航空会社の機内誌を10年間制作していたことがある。今回は、自分のライター人生の中でも大部分を占めていたその航空機内誌について書いてみようと思う。

機内誌制作のはじまり

「機内誌」というと、いわゆる雑誌とは違う存在。フリーマガジンではあるもののファンが多く、ライターの中にはいつか書いてみたい憧れの冊子という人もいる。

私は特にそんな特別な感情も先入観もなく、今の会社に入って携わることになったのだが、最初は大変だった。なんせ月刊なので、毎月がとにかく目まぐるしい。

機内誌の制作は、発行の約2カ月前に始まる。主なスケジュールは、まず企画を出し、クライアントとの定例会議で内容を決めてから旅の特集ページの取材・原稿執筆、その他エンタメページやコーナーの掲載先にコール、素材集め、原稿執筆が続き、仕上がった原稿をクライアントや掲載先に校正確認、入稿、色校チェック、再入稿という流れを経て納品。

上記のサイクルがエンドレスで続くのだが、一冊を作っている最中に次の号の準備も始まるので、校了した3日後に次の号の初稿提出ということもザラにあった。

当時は20~30ページ分を執筆し、企画出しも、掲載先への依頼も、原稿の校正も、色校のチェックも、掲載誌の発送もすべて自分が携わっていたので、今思えばよくできていたなぁという感じ。

常に2カ月先のイベントや話題づくりを意識していたので、一年が過ぎるのがあっという間だった。

機内誌の特徴

普段わざわざ雑誌を読むことがない人でも、移動中の機内で自然に座席ポケットに入っている機内誌を手に取ってしまう、ということはよくあるだろう。

普通の雑誌と違って特殊な空間で読む媒体なので、クライアントのチェックはかなり厳しかった。

そもそも機内は薄暗いため、文字の大きさや行間、背景がある誌面の読みやすさは細かくチェックされる。そして、ネガティブな表現やデリケートな部分は必ず指摘が入った。

エンタメコーナーで映画や本を紹介する時も、内容によっては掲載NG。当然のごとく飛行機が墜落する作品なんてもってのほか。密閉空間で逃げられないからこそ、読者の気分を害すること、パニックにさせてしまうことは絶対に避けなければいけないのだ。

制作時の思い出

作っている時は、この忙しい期間がひたすら続く状況に疲れてしまったこともあったが、一方で役得もあった。

エンタメで扱う作品を事前に手にしたり、トレンドの店にいち早く取材したり…。飛行機の就航地周辺の旅を特集するページでは、企画が通れば自分の好奇心のままに取材して、旅の醍醐味を満喫することもできた。

行く先々で出会う現地の人々がとても優しく、いろいろな知識が増えるので、毎月ハードスケジュールながらも濃密な期間を過ごしていたと思う。

毎月機内誌のプレゼントコーナーに読者からの感想が届くのを見るのも楽しかった。遠距離恋愛をしている恋人に定期的に会いに行っているという人、ビジネスで利用している人、親の介護のために帰省しているという人もいて、飛行機はいろんな人間のドラマが詰まっている場所なんだなぁとしみじみ感じたこともあった。

その中でも忘れられなかったのが、身内の急な不幸で実家に帰る途中という方のコメントだった。突然の訃報に悲しみや狼狽、いろんな感情が入り混じる中で「たまたま手に取った機内誌を読んで気が紛れた、ありがとう」とのこと。

当時あまりにも目まぐるしい日々で、何のために仕事をしているかわからなくなっていた自分にとっては最高の褒め言葉だった。思わず泣いてしまった記憶がある。

飛行機に乗る人は、必ずしも行先が楽しい旅行先とは限らない

どんな人が読んでも、楽しくて為になって、時には救いになるような媒体に携われていることに、初めて仕事のやりがいや生きている意味を実感した出来事だった。

おわりに

旅、グルメ、商品紹介、地方創生、いろんな分野の見識が深まったのはすべて機内誌制作のおかげだ。

一時は離れていたその仕事も、また最近縁があって関わることが増えてきた。

何年ライターをやっていても記事を制作する工程は決して簡単ではなく、苦労や試行錯誤の連続だが、読者の喜ぶ顔を想像してより良い誌面が作れるようにまた力を尽くしていきたいと思う。そして、取材と称して旅を満喫できる日が早く来ることを願う。





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