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「推し」と「押し」

○はじめに

みなさん、こんにちは😆

今回はついに自分が長い間考えていた「推し」について私見を述べたいと思います🤔


○「推し」とはなにか

昨今「推し活」という言葉があるぐらい「推し」という概念が人口に膾炙している。

改めて「推し」という言葉をWikipediaで調べてみよう。

推し(おし)とは、主にアイドルや俳優について用いられる日本語の俗語であり、人に薦めたいと思うほどに好感を持っている人物のことをいう
ーウィキペディアより引用https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A8%E3%81%97

最近は「箱推し」という言葉があるように、個人ではなく団体全体を応援したり、作品そのものやそのシリーズ全体を対象とすることもある。

そして元々はアイドル好きの界隈で使用されていた言葉でもあることが説明されている。2021年の新語・流行語大賞では「推し活」がノミネートされた。


○「推し」への違和感

自分はこの「推し」という概念について2〜3年ほど違和感を持ち続けていて許容することが難しかった。

理由は2つある。1つ目は、推しがある人が推しを否定されると理由も聞かず排他的になること。2つ目は、推しの作品が主題の話から少し脱線した話や話題が移ったとしても、元の推しの作品の話に繋げて話を戻そうとする人もいるからだ。

この2つは宗教に盲信的になっている人と共通している。自分は宗教2世の生まれだ。そのため、宗教関係の知り合いがいるのだが、その人と宗教に関係ない話をしても必ずどこかのタイミングで絡めてきて信心の良さの話に持っていく。この経験が「推し」を持つ人との会話で違和感に結びついた原因だろう。


○「推し」と「押し」

しかし、必ずしも「推し」を持つ人が全員排他的というわけではない。そこで自分が思いついたことが、上記で取り上げたような否定の意見を排除し、好きなものに話題を持っていく独りよがりな人を「推し」ではなく「押し」と定義づけたい

「押し」は「押しつけ」という言葉からイメージした概念。もちろん好きなものがあるということは人生を彩るためにあった方がいい。ただそれは相手の気持ちを無視して「押しつける」ものではない。

自分の経験でいうと、音楽ゲームが好きでおすすめのゲームを勧める際、自分の感覚や経験から「このぐらいの難易度のゲームがおすすめかな」と思って紹介したものでも「難しそう」という返答が必ず返ってくる。

好きなものなのでつい「これはこういうものだから他のものと比べると入りやすいよ」ということを述べたとしても、相手は相手の感覚や価値観があり、軋轢を生むきっかけになりえるのである。

他にも塾の講師のアルバイトをした経験もあるのだが、自分では「このぐらいの問題なら解けるだろう」と思って出題した問題が生徒にとっては難しく想定外の事態に戸惑ったこともある。

「自分と相手は違うという前提条件は忘れてはいけない」と学びになった出来事ばかりである。


○シェイクスピアから学ぶ

「押し」という言葉を考えている中で思いついた言葉がある。「恋は盲目」という言葉をご存知だろうか。この言葉はイギリスの劇作家・シェイクスピアの作品『ヴェニスの商人』に登場するセリフである。

ヴェニスで金融業を営むシャイロックは、ユダヤ教徒。しかし、その娘、ジェシカは、キリスト教徒のロレンゾと恋仲になり、駆け落ちを決意します。姿をごまかすために少年の服装を着た彼女が、そんな自分の姿を恥ずかしがりながらつぶやくのが、「恋は盲目で、恋人たちは自分たちがいかに愚かなことをしているかわからないものなのね」と言うセリフ。ーコトバンクより引用https://kotobank.jp/word/%E6%81%8B%E3%81%AF%E7%9B%B2%E7%9B%AE-493536

恋という感情が周りの視線を気にせず突飛な行動を起こす。これは「押し」と同じものではないだろうか。


○「押し」にならないためには

ここまで私見を述べてきたが「推し」と「押し」の違いについてイメージしていただけただろうか。では、その「押し」にならないためにはどうすればいいのか。

それは「押し」と逆の発想をするように心がけることだろう。まず「否定の意見を一旦自分の中で噛み締めること」。否定には自分が感じなかった相手の気づきや考え方を学ぶことができる。もちろん勘違いしないで欲しいことは、「否定と誹謗中傷・人格攻撃は別物」だということ。思想と人格を分けて考える、そして自分が否定意見を言う際にも言葉を選ぶ必要がある。

もうひとつは自分のペースで場を持っていかないこと。特定のジャンルや作品だけを中心に話す場では問題ないが、コミュニケーションは自分と相手の言葉のキャッチボール。自分が暴投すれば相手はキャッチすることができない。会話で発生する関係性という間を意識するべきだろう。


○SNSと「推し」

ここまで「推し」という概念が浸透したのはネット、特にSNSの流行がきっかけだろう。そこは現実世界とは違い匿名で好きなことを呟くことができる。そうなると吐き出すことができなかった好きなものに対する想いを呟けたり、同志を国・地域という垣根を超えて見つけることができる

しかし、それは好き同士で集まったまさしく「恋は盲目」になる原因となる。価値観や多様性を謳いながら排他的な行動をする人がいることもここから考えることもできそうだ。


○まとめ

「推し」文化が浸透したことにより好きなことを話すことができる土壌ができ、つながりを持てることは素晴らしいことだ。ただ、物事は良い面だけでなく悪い面もある。この「推し」の話を通じて、何か感じ取るものがあれば光栄の至りである。

感想や質問なども受け付けているので、コメントしていただけると幸いです。長文を最後までご覧いただきありがとうございました🙇

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