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ブログ「MAKE SOME NOISE」(http://blog.livedoor.jp/goldberg1/)の記事を試験的に転載しています。よろしくどうぞ。

最近の記事

約10年ぶりに読んでみて気づいたこと/村上春樹『風の歌を聴け』(講談社文庫、1982)

 昔は本の本扉に読み終わった日付を付ける習慣があった。いつの間にかその習慣は無くなったが、学生時代や、仕事を始めてからもしばらくの間は、読み終わった日付、時には場所を書いたりしていた。  私が持っている講談社文庫版の『風の歌を聴け』の本扉には、書名の上にいくつもの日付が書いてある。最初の日付は「1999年8月10日」、高校一年生の夏休みだ。その後、「2001年8月16日」「2002年5月22日」これは上京して大学一年の新学期が始まった頃、それから「2004年」に二度読んでい

    • 流刑地にて/松下隆志『ロシア文学の怪物たち』(書肆侃侃房、2024年)

       子供の熱が下がらない。この三連休、断続的に悩まされている。頓服の解熱剤を飲んで、少し熱が下がったと安心して、またしばらくするとぐったりしている。ふだん元気であちこち転げ回っているのに、クッションや私たちの体に頭をもたせてくる。笑顔も少なく、元気がない。  ♯8000という、子供の体調が悪い時に相談を訊いてくれる番号があり、それに何度かかけてみた。夜中には繋がりにくかったが、数分繋ぎっぱなしにしていたら、女性の看護士さんが出て、食べた方がいいものや、近くにある病院の調べ方を

      • 自分らしさの檻の中でもがいているなら/平野啓一郎『私とは何かーー「個人」から「分人」へ』(講談社現代新書、2012年)

         「分人」という概念を、本書で平野啓一郎が提唱している。人間は一つの一貫した存在ではなく、人や状況によって別の顔を持つ。そうした二面性や多面性は「八方美人」や、「表裏がある」というような言い方で、これまでは否定されてきた。「本当の自分」があり、「嘘の自分」「仮面を被った自分」がいる、という風に、優劣をつけられたりもしてきた。  しかし、果たしてそういう多面性は否定すべきものなのだろうか? Aという友人と話す時と、Bという先生と話す時、Cという親と話す時ではそれぞれが違う顔を

        • おじさんなんだかわからない/pha『パーティが終わって、中年が始まる』(幻冬舎、2024年)

           「コミュ障」という嘲笑的な表現は好きじゃないけれど、最近、自分が人とのコミュニケーションが苦手だなと思うことが多い。たぶん昔から苦手なのだろうが、若い頃は、それを気合いでカバーして、周りとコミュニケーションをとるように頑張っていた。なんとか真っ当な人間に見られたいと思っていたのだろう。でも大学時代あたりから、コミュニケーションを頑張る時期と、疲れて軽い引きこもりのようになる時期とが交互にくるような感じだった。それから長い時間を経た今もその感覚はあまり変わっていない。  若

        約10年ぶりに読んでみて気づいたこと/村上春樹『風の歌を聴け』(講談社文庫、1982)

        • 流刑地にて/松下隆志『ロシア文学の怪物たち』(書肆侃侃房、2024年)

        • 自分らしさの檻の中でもがいているなら/平野啓一郎『私とは何かーー「個人」から「分人」へ』(講談社現代新書、2012年)

        • おじさんなんだかわからない/pha『パーティが終わって、中年が始まる』(幻冬舎、2024年)

          譲り渡せないもの/小沼純一『リフレクションズ』(彩流社、2024年)

           子供を保育園に抱っこして連れて行ってからいつもの坂道を降りて、コンビニで新聞と本を買った。ホッと一息つく足取りはいつも少し軽い。いつもコンビニなどで新刊を見かける度に買う『ブルージャイアント』というジャズの漫画だ。帰宅してポストを開けると、『リフレクションズ』という書籍が入っていた。今日はジャズの日だ。私が病気で会社を休みがちだと知り、わざわざ書籍を自宅に送ってくださった。  まず思い出すのは、彼が20年ほど前に早稲田大学戸山キャンパスの38号館といういちばん大きい教室で

          譲り渡せないもの/小沼純一『リフレクションズ』(彩流社、2024年)

          離陸

           一瞬、時が止まったようで変だなと思った。さっきまで私の肩に寄りかかっていた子供がゆらゆらと揺れながら、満面の笑みでこちらを見ていた。夕刻の一瞬の出来事だった。彼が地面に足をつけて私から手を離して、つまり初めて立ち上がった瞬間だった。私は思わずおお!っと声を出したが、次の瞬間にはもう彼はしゃがんでいたので、幻かもしれなかった。    子供の成長を眺めていると、何かをできるようになるということは、何かをしたいと思うこととほとんど同義だ。彼は毎日、何度も柵や椅子に捕まり立ちをして