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離陸

 一瞬、時が止まったようで変だなと思った。さっきまで私の肩に寄りかかっていた子供がゆらゆらと揺れながら、満面の笑みでこちらを見ていた。夕刻の一瞬の出来事だった。彼が地面に足をつけて私から手を離して、つまり初めて立ち上がった瞬間だった。私は思わずおお!っと声を出したが、次の瞬間にはもう彼はしゃがんでいたので、幻かもしれなかった。
 
 子供の成長を眺めていると、何かをできるようになるということは、何かをしたいと思うこととほとんど同義だ。彼は毎日、何度も柵や椅子に捕まり立ちをしていたし、何もないところでも立ちあがろうと勢いをつけて飛び上がっていた。だから、立ち上がるのは時間の問題だった。好きなこと、やってみたいことなら、何度でも挑戦できる、そう言わんばかりの姿だった。

 何かに手を伸ばせば、いずれは届くようになる。彼は迷いなく前進する。時に痛みを伴うが、それでも欲しいという気持ちに変わりはない。何か欲しいものがあり、それを明確に思い描くことができれば、それは実現するのだ。そこにあるのは強い推進力だ。理屈などない。目の前にあるものに触れたいから、手を伸ばすだけだ。

 ところで、私の方は、今週、子供から感染した手足口病が治ってまもなく、仕事をしていると、また強烈な関節痛と悪寒に襲われ、病院に行くとコロナ陽性であった。今頃か、と思った。世の中がコロナに怯え、誰も彼もが家に引きこもっている間、私はコロナに一度も罹らなかった。それがなぜ、今頃と。

 今年は感染症という感染症にすべて罹るのではないかという気がする。藤井聡太は一つ失冠して七冠王になった。何冠王だか知らないが、私は感染症の王になるのかもしれない。感染症はあといくつあるのだろう。夏に流行る感染症が発生したと、保育園からのメールが繰り返し告げる。

 一週間、ひたすら寝て起きてを繰り返す。身体の痛みがあるうちは、何もできることがない。ただ布団の中で汗をかき、水分を補給するためにポカリスエットを飲む。本を読む気にもならない。時折、テレビをつけて録画した番組を再生してみるが、特に面白くも感じない。

 目の前の窓には何度もスズメが来る。妻がパンのかけらをベランダに置いていったから、それを求めて親子のスズメがやってきて声を挙げている。至近距離で聴くスズメの声は意外に大きく、私はその音を楽しむ。スピーカーで聴くどの音楽よりも臨場感がある。スズメの親が子供に口移しでパンをあげている。

 自分の生活のどこが面白いのか、何が楽しいのか。もう一度フレッシュな気持ちで考えたい。何かをしたいという強い気持ちがなければ、人は変わらない。まずは体を治して、生き返りたい。何が欲しくて、要らないものはなにか。どんな景色をみたいのか。何が食べたいのか。都市の生活では、人の姿が多すぎて忘れてしまいがちな自分自身の姿、輪郭。もう一度取り戻したい。

 

 

 

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